ガーデニングにハマる
10月に入って急激に気温が下がってきたこともあり、最近わが家の植物たちの耐寒性について考える機会が増えてきている。
なんとなくデリケートなイメージがある苺だが調べてみると案外寒さに強く、、、むしろしっかり冬の寒さを乗り越えるから甘い実をつけるのだという。
それから花の時期を終えたらあとは枯れるだけと勝手に思い込んでいたラベンダーは、暑さより寒さに強いことを今さら知ったので、剪定しつつそこから揷し木で増やす楽しみも増えた。
人間同様、植物もさまざまな性質を持っているので、そのひとつひとつに合った育て方がある。これからますます趣味としてのガーデニングの深みにハマっていきそうだ。そしてそれはとても幸せな時間に他ならないと感じている。
さて最近は人と話すより植物と向き合っている時間が圧倒的に増えていることもあり、若干浮世離れしつつある。
ブログの記事を書くことは、これだけがこの世界の全てではないことは分かっているけれど、多少なりとも社会の縮図に足を踏み入れているような感覚になる。わたしは烏の行水だが、足湯なら長く入っていられるのに似ている。
足湯をしていると血行がよくなってくるので、頭の中も血の巡りもよくなるのか自然と思考が冴えてくるような。今回はそんな時、ふと浮かんだことについて話してみたい。
自己愛性パーソナリティ障害
みなさんは自己愛性パーソナリティ障害というワードを知っているだろうか?
これはしばしば発達障害の類と混同されがちだが、発達障害が先天的な脳の機能不全がおもな原因であるのにたいし、パーソナリティ障害は生まれ育った環境など後天的な要因が深く関わっていると考えられている。
もうすこし分かりやすく例えるなら、先日お話した天然と養殖の違いのようなものだ。
これは、自分に対して誇大なイメージを抱き、注目や称賛を求める一方で、他者からのマイナスな評価に対して過敏に傷つきやすく、他者に対する共感性が薄いことを特徴とする障害だ。
あ、こういう人いるな、、、というか今わたしが最も苦手とするのが、このタイプかもしれない。
ほんの些細なことでも、まるでタイトル詐欺のように大袈裟に煽り、中身のない内容、お世辞にもお上手とは言えない作品を展示しているのに、注目や称賛を浴びたい。
その一方で他者が今の自分の生き方に異を唱えようものなら過剰に反応して傷つき、今度はそんな可哀想なわたしを演じる。
自分や家族が傷つくことは許せないのに、他者に対する共感性は皆無で、たとえば、身内が亡くなるなど落ち込んでいる人のブログのコメント欄に「拝読しました」などと、全く本文を読んでいないのか、相手をどうでもいいと思っているかのようなコメントを平気で載せることが出来てしまう。
自己愛性パーソナリティ障害の2つのタイプ
自己愛性パーソナリティ障害は、根本にある自己愛の未成熟さなど原因は共通だが、その表出の仕方によって、次の2つのタイプに分類される。
周囲を気にしない「無自覚型」タイプ このタイプの人は、自分はできる・自分は特別だと思い込み、社交的に振る舞いつつも他人のことには興味はなく自分の利益だけを考えています。このタイプの人が他者と親しく付き合うのは、自分に何かしらの利益があるからだと考えているためですが、自分の意向に沿わないときや責められると激怒することがあります。このような言動は本来の弱い自分を守るための防衛本能だといわれています。その他にも次のような特徴がみられます。 ・わがまま・傲慢な態度をとる ・自分に夢中で他人のことは全く考えない ・注目の的でないと気に入らない ・他者に対する言葉づかいは常に攻撃的 ・他者の反応を気にしない/怒りに表わすことで気にしないことにしている ・他者の気持ちを傷つけても平気 周囲を過剰に気にする「過敏型」タイプ このタイプは身の丈に合わない理想化した自分自身を掲げますが、現実の自分との間にあるギャップに悩みます。他者からの評価に過敏ですぐに傷つきますが、自分には本当は才能があるという思いを持ち続けています。それゆえに自分自身を責めて落ち込んでいくサイクルが続きます。他にも次のような特徴がみられます。 ・内気で恥ずかしがり屋 ・自分の意見や感情を出さない ・傷つけられたと感じやすい ・注目の的になるのを避ける ・他者の反応に対して敏感に落ち込む ・他者からの評価を気にする
もちろん実際の人格はこのように明確に分類できるわけではなく、こういった要素が複雑に絡みあいながら表出していると思われる。
いずれにせよ、このような障害のある人が自分を誇大化する理由は、本当の自分に自信が持てないなどの理由があり、本当の意味で、自分自身を受け入れることができていない状態にあるのだと思う。
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