おすそ分け
『おすそ分け』…ふだん何気なく使っているこの言葉だが、実は目上の方になにかを分けるときに使うのは、やめておくべき言葉だということ知らない人がいる。
それはこの言葉の由来を知れば一目瞭然で、「すそ(裾)」は、衣服の下端の部分から転じて、主要ではない末端の部分も表す。そこから、品物の一部を下位の者に分配することを「裾分け」というようになったからだ。
一方、目上の人物に失礼に当たらないとされている言葉としては『お福分け』という言葉があるので、これを使用すればいい。
さてそんなおすそ分けの意味をふまえて…今回は『幸せのおすそ分け』について考えてみたい。
婚テロ
結婚、キャリア、子育てなど、とくに女性は人生の中でなにを重視するかによって、またステータスによっても、仲良く付き合う友人が変わったりするものだ。
中でもとりわけ厄介なのが、本人は『幸せのおすそ分けの』つもりの「婚テロ」というやつだ。
特にSNSが盛んになってから、この類の相手をモヤモヤさせたり、イライラさせたりしてしまう投稿を目にするようになってきた。
「いったいこの結婚報告いつまで続くのかしら?」などと思った経験は誰にでもあるだろう。
娘の大学時代の友人の中にも、プロポーズから両親顔合わせ、結婚式準備に至る一連の出来事を投稿し続けた強者がいたらしい。その後も『結婚式まであと1週間』などといったカウントダウンまで。
『結婚しました』という報告が1回あるくらいなら、こちらも気持ちよく『おめでとう』と祝福も出来るだろう。しかし挙式までの1年近く、ずっと結婚に関連する投稿が続いて…さらに、新婚旅行の写真も続々と投稿されると、もう「良かったね」としか言いようがなくなったと。
そしてこういう投稿が延々と続くと、見ているだけで疲れ、イライラしたあげくそんな嫌な自分に落ち込むこともあったようだ。そんな経験をしたこともあって娘はFBやInstagramなどのSNSは滅多に利用しなくなったという。
そしてその後、自分の結婚式のときは、とくに写真などを載せることもしなかった。
この問題、おそらく当事者としては『幸せのおすそ分け』や『単なる結婚報告』のつもりでいたものを「婚テロ扱い」されてしまった側面もあるだろう。そして、それをどう受け止められるかは、相手との距離感によることも多いのではないだろうか。
親しい人なら、幸せを共有して『おめでとう』という気持ちになれても、あまり親しくない人だと、幸せアピールに見えてしまう。
そればかりか、あまり親しくない相手から、「おめでとう」や「お幸せに」などという祝福の言葉を強要されている気分になる人もいるだろう。
最後に
そして最後に、もう一度『おすそ分け』の意味を思い出してみよう。そもそも、おすそ分けとは、地面に近い末端の部分というところから転じて『つまらないもの』という意味もあり、とても意地の悪い言い方をしてしまうと、「上の者が下の者に、それほど価値のないモノを分け与える」というふうにも取れる。
それを『幸せのおすそ分け』なんていい方をされたら、どれだけ傲慢で上から目線の考え方だと捉えられても仕方ないだろう。
そしてこれは、結婚する本人のことでさえしつこいと感じるのだから、当事者でもない身内などが自らのSNSにそれらの投稿をするのはより痛々しく感じられるのは当然のことだ。それはまるで先日とりあげた苦手なアロマの匂いのように、本人にとっては心地よくても周囲は迷惑する典型みたいなものだ。
しかも、たとえ身内であったとしても結婚という極めてプライベートな出来事を本人をさしおいてSNSに晒していいのか?という問題もあるだろう。
少なくともわたしは、自分の娘の結婚式の話など不特定多数の人に知らせたいとは思わないし、本人もそういうことは望んでいないことを知っている。
SNSは様々な人に見てもらえる便利なツールだが、その便利さ故に本来の人間関係にある距離感がおかしくなってしまい、知らないうちに誰かに不快感を与えてしまうことがある。
見たくないなら見なければいい。と言ってしまえば簡単だが不意に飛び込んでくることもある。
誰しも人から不快感を持たれることは避けたいはず。これはウェディング写真に限ったことではないが、SNS上に画像やコメントをアップする時は「〇〇テロの可能性」を少しでも念頭に入れて、ひとりでも多くの人が良好なSNSライフを送ることが出来るよう配慮されるべきではないだろうか。
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