とうもろこしを収穫しましたが…
つい先日、家庭菜園で育てていたとうもろこしを収穫しました。初めてにしてはしっかり実も入って上々の出来だったのですが、1/3ぐらい虫の食害でやられて悔しい思いをしました。
世の中にはいろいろな趣味の人がいて、昆虫博士を名乗るぐらい虫が大好きな人がいるかもしれませんが、家庭菜園や草花を育てるうえで最も悩まされるのが虫の存在で、収穫間際の実を食い荒らされた日には、この憤りをどこにぶつけたらいいのか分からなくなる時もあります。
なので虫好きな方には大変申し訳ないのですが、わたしが丹精込めて育てている庭の植物に害を及ぼす虫たちをどうしても好きになることは出来ません。
原価厨
いっぽう世間には“商品の原価を気にしすぎる原価厨“と呼ばれる人々が少なからず存在します。
心の中で思う分には良いのですが、これ声に出されるとちょっと嫌だなと思うことがあります。
きょうさん以前、何か資格を取りたくて簿記の勉強をしたことがありました。元々理系崩れだったこともあり、数字に対抗がなく、複式簿記の貸借が一致する仕組みの面白さにハマって、独学で日商簿記2級まで取得しました。
日商簿記2級は、大きく分けて商業簿記と工業簿記に分かれ、商業簿記が「外部から仕入れた商品を販売する企業」を対象とするのに対し、工業簿記では「企業内部で製造した製品を販売する企業」を対象としています。ここに原価計算などが含まれるため、この理解を深めることが2級合格の肝になると言っても過言ではありません。
ここで簿記における“原価“とはなんぞやということをざっくり説明しますと、『商品やサービスを提供するために必要な原材料費や人件費などの総額』ということになります。
時に原価厨さんは原価を気にするあまり、お店の価格が原価と離れていようものなら「ボッタクリ!!」などと言って怒りを露わにすることもあります。
某有名コーヒーチェーン店のフラペチーノも、その“材料費“を考えたら決して安いとは言えないプライスですが、自分の好きなフレバーが出た時にはそんなことはお構いなしに、飲みたくなりますよね。そう、大勢の人が、『フラペチーノ』という商品の価値を認めているのです。
「この味なら、このお金払ってもいいな~」って。
原価厨が嫌われてしまう原因の多くは、
『他人が良いと思っている物を全否定することにある』と言えるでしょう。自分が好きなものを否定されて嬉しい方なんて居ませんものね。
先日、娘にミシュランひとつ星の天ぷら屋さんでご馳走になったばかりですが、ひとくちに“天ぷら“と言っても、大衆的なお店で提供されるものから、専門店までさまざまです。
そりゃなんでも安いに越したことはありませんが、台所を預かる主婦としては、せっかく外食するのであれば、自分でなかなか再現出来ないような、プロの技を堪能したいですし、普段絶対に食べられない、熱々のカラッと揚がった“天ぷら“をその場で食したいのです。
それをイチイチ、『これは近所のスーパーの鮮魚売り場なら〇〇円で買えるようなネタだ』とか文句をたれる原価厨。そういうコメントを見ると、「それなら外食などせず、自給自足の生活をしてください」と言ってやりたくなります。
商品はなにも物だけではありません。
『“サービス“という技術にも商品価値は存在します。』人が行う“サービス“には“仕入“がありません。つまり“材料費“はゼロですが、この場合、原価厨は、『原価はゼロだから、サービス業自体がボッタクリだ』とでも言うのでしょうか。
ピカソが描いた一見すると子供の落書きのような絵画が、オークションで何百億ものプライスで落札されることだってあります。しかし、その作品の“材料費“だけを考えたら、“キャンバスと絵の具“だけですが、それを自分がその価値が分からない、買いたくても高すぎて手が出ないからと言ってボッタクだなんて誰も言わないでしょう。
どの分野でも“技能“を修得するためには何年も修行したり、時には命を削るような創作過程での葛藤があったり…そんなふうにして体得した技術やその作品を誰も安売りしたくないですよね。
現代社会は、人々が持つさまざまな社会や民族的背景、性別、性的指向などを認め合い、尊重し合う“多様性の時代“とも言われています。そんな時代に生きているのに、『他人の努力や価値観に敬意を払うこともなく、その価値を認めようとしない』でも『自分がタダ働きするのは嫌。国は何もしてくれない。物の値段が上がったり品薄になったり、観光地が混雑するのは全てインバウンド(とくに中国人)のせい。値上がりなんてもってのほか』などと文句ばかりいう原価厨たちっていったい何様なのでしょうか。
中にはただ店の前を通りかかったり、たった1度だけ利用した程度で、さもその店の商品やサービスの全てを知っているかのように語り、『たった◯分にこのプライスは高すぎる』などと吹聴する輩まで出没する始末。
いま既に、たくさんの安くて品質の良いものが世の中に溢れています。それでもさらに価格が下がることを望んでしまうのは仕方のないこと。ただしそれを消費者側から強く訴えるのは危険なコトだと思います。
「もっと安く!!」こういった声に応えようと安いものを提供すると、当然どこかにしわ寄せがいくことになります。ではどこを削るのか?それが、人件費です。人件費を削ると従業員ひとりひとりの負担が増えます。さらに残業が増え、酷い時にはその残業代すら支払われないなどという…ブラック企業がひとつ誕生なんてことになりかねません。
店は原価と儲けを中心に販売価格を組み立てていますが、“お客さま“のことを考え過ぎて薄利営業にすると経営が立ち行かなくなります。
日本には「無理に富を求めようとはせず、行いが清らかで貧しい生活に安んじる」という“清貧思想“が根強く残っています。しかし適正価格で商品やサービスが提供されることこそが、事業の継続には不可欠で、これを忘れて単純に自分の価値観だけで「高い!」などとクレームをつける行為は営業妨害にもなりかねません。
こんな原価厨が増殖した結果…気がついたら「安かろう悪かろう」の店ばかりになってしまうのでは?と危惧しています。確かに資本主義社会では競合することで『より良い価値のある商品やサービスを提供する方向に向かう』という側面もあるでしょう。しかし、その価値が“価格の安さ“のみに傾いてしまうと良質の商品は淘汰されてしまいがちです。
さらに問題なのが安さのみを追求した企業が市場を独占し、頃合いを見計らって一気に値上げという図式が浮かび上がってきます。
結局、商品やサービスを提供する側に安さだけを求め、薄利しか認めようとしない身勝手な原価厨や、自称ご意見番たちの価値観に迎合して流されてしまったら、“大多数の人が幸せを感じられるような明るい未来“など見えてこないと思います。
そして、みんな頑張っているのに「高い!」と文句ばかり言う人に限って、自分で料理を作ったこともなければ、家庭では何でも奥さんに任せっぱなしとか、職場では面倒なことはすべて部下に丸投げとか…そういう悪しき昭和の風潮にあぐらをかいてきた無知な原価厨や老害たちこそが退場すべきと考えます。
害虫は殺虫剤などを用いてある程度対策することは可能ですが、原価厨につける薬はありません。わたしたちに出来ることと言ったら…そんな原価厨たちの言葉に惑わされず、自ら培った審美眼において物事を見極めていくことだけだと思います。
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