このところ右肩の付け根の辺りが痛い。これがいわゆる五十肩というやつなのか?あんまり愚痴は言いたくないが、人ってどうしてこんなふうに次から次へと気掛かりが湧いてくるのだろう。
最近、東京住みの娘からはほとんど連絡がないが、それはある意味良い知らせで、彼女はきっとおひとりさま生活を満喫しているに違いない。
もちろん彼女だって何かしら思うことはあるだろうが、きっとわたしのような思い悩むことではなくて、次の誕生日のプレゼントは何がいいかしら?なんて程度のことに違いない。
いや、もしかするともっと深いことを考えているのかもしれないが、それを感じさせない。それってもしかして自立してるってことなのかもしれない。
次女の私生活は謎に包まれている。もちろん悪事を働くような類ではないが、長女や長男と比べると昔から人種が違う気がしていた。
私自身が詮索されるのが苦手なタイプなので、彼女が自分から言い出さない限りは何も知ろうとは思わないから、余計に謎は深まるばかりである。
とは言え、何か記念日になると連絡をしてきて好きなモノを買っていいよと言ってくれたり、両親に食事を奢ってくれたりするから優しい面もあるようだ。
今回も大晦日に帰省して、元旦の午後には帰宅するらしい。今彼氏はいないようだが、また交友関係も謎なので、面白い話が聞けたらいいななんて、わたしは呑気なコトを考えている。
親のわたしが言うのもなんだが、次女はとても小顔でスタイルがよい。ちなみにわたしは小顔ではない。じゃあこの小顔はどこから来たのかと言えば、わたしの母である。そして母の小顔は、その父親、つまりわたしのおじいさんからの遺伝である。
DNAとは面白いものだ。親から子へ受け継がれるモノもあれば、ひとつ遡って隔世遺伝することもあったり、、、今わたしが五十肩になっているのも、どこからか伝わってきたDNAの為せる技かも知れない。
またこんなことをいうと失礼かもしれないが、次女はそんなに努力するタイプでもないにも関わらずその容姿で得をしているみたいだ。
つまり小顔というひとつの要素が作るバランスが彼女に幸せをもたらしているとも言える。
DNAは五十肩にも作用するが、小顔というたったひとつの要素だけで、誰かの運命を左右しているのかもしれない。
小顔になりたくて整形して顎の骨を削ったりする人もいるご時世だから、それが生まれつき備わっているということは、コスパいいってことよね。
それにしてもわたしもこんな暮れも押し迫った時期の夜中に、娘の小顔の話を書いているってのもおかしな話だ。
何が言いたいかって?
今のところ五十肩でいいことは何も見つからないが、どんな人にも必ずご先祖さまから受け継いだDNAがあって、さまざまな幸運を生み出す可能性を秘めているということだ。
そしてその可能性を引き出して自分のよりよい人生に生かすのは自分自身でしか出来ないことなのである。
わたしもまだ自分でも気づかない可能性を秘めているのかもしれないと思えば、それだけでこころが軽くなってくる。
コメント