「それってマウントじゃね?」
とある週末の昼下がり、、、都内住みの次女と茶飲み話をしているときの話だ。
なるほど、わたし自身は何も感じていなかったが、おそらく次女の視点からみると、、、それってAさんが何気にわたしにマウント取ってるってことなんだ。
わたしは人付き合いが苦手。Dや、、、本当のところ子供たちとも上手くいってるのかなと思うことがあるくらい。
まして家族以外の誰かとなんて言わずもがなだ。
わたしにはきっかけはママ友から始まって、今では旅行も一緒に行ける友人がいる。彼女にも問題がない訳ではないが、でも彼女とはずっと親友でいられると思う。親友というより血の繋がりこそないがほとんど家族なのかもしれない。
話はAさんに戻る。
友人とわたしは歳が十近く違っていて、彼女が年上なので、何をしても言われてもマウントするとかされるとかそういう間柄ではない。で、ここ二十数年そういう気の置けない関係に慣れてしまっていて、、、ついつい他の人との関係に無頓着になりがちだったと思う。
そもそもわたしは、誰かと歩調を合わせることがとても苦手。誰がなんと言おうと自分のこだわりを大切にしたいと思っている。
そしてそのこだわりが自分のidentityであって、自分自身なのだと。
そこには誰かを妬んだり羨んだりする気持ちは微塵もないので、逆に誰かにマウントを取られていたとしても気づかないのだ。
ただ全く何も感じていなかったわけではない。確かにその方が自慢しているんだろうな?とは思っていた。でも、わたしからすると、「だから何?」ってことで取るに足らないことに感じていたのだ。
遠い昔、、、幼稚園のママ友関係に悩んでいた時期があった。
みんなで同じスインミングスクールに通って、、、上達の早い子も居れば遅い子もいて、、、「〇〇ちゃん凄〜い。それに比べてうちの子は」とか。それから、「旦那さんのお勤め先は?」とか。あーくだらない。
子供がどーとか、旦那はどーとかばかりで、、、じゃあ、あなたはどうなの?
旦那も子供も家族の一員であって大切な存在なのは言うまでもない。しかし、自分じゃない。それぞれ別の個体。
きっと家族の為に自分を後回しにして尽くす女性が立派な主婦なんだろう。まあ、それもひとつの生き方だ。
でも、いつかは子供も巣立って、夫婦2人だけの生活が訪れたときのことを考えると、それだけじゃつまらなくない?とわたしは思う。
Dとは相変わらずそりが合わない。今朝も朝食の支度をしたらさっさと部屋に引きこもった。
しばらくして、Dが仕事に出かけるといってドアを開けながら、「トマトが復活したよ」とうれしそうに言ってきた。
どれどれと、庭に出てパチリ。
実は先日、あの悪ガキがうちにやってきたときに、勢い余ってトマトの苗を踏み潰したのだ。
以前はこんなふうだった。
向かって右端が、以前のトマトの苗。可哀想なトマト。本当にCheは悪い奴だ。
それにしても不思議だ。
どんなことでも、誰かが本当に嬉しく思う気持ちを感じると心地よい。
自慢話と嬉しい話の境目はどこにあるのだろう。
ひとはどうしてマウントを取りたがるのだろう。
マウントを取りたがるひとの特徴として
1.承認欲求が強い 2.自信がない 3.自己中心的な性格
なんてのが当てはまるのだという。いやーん、わたし、自己中ってのは当てはまってる。でも、マウントしたいとは思わないなあ。
上から目線にしても、妙にへりくだるにしても、どっちにしても相手を落とすことには変わりはないわけで。
でも、実際相手を落としたところで、本当の自分の価値は1ミリも1ミクロンも変わりはしないのだ。
誰かを見下すことでしか自分の優位を感じられないなんて可哀想なひと。
次女が言った。
「それってマウントじゃね?」
なのでわたしは言ってやった。
「いーじゃん別に。お母さん、マウント取られたなんて全然感じてないから。やりたい人には勝手にやってねって思ってればいいのよ。うふふ」
世の中にはいろいろな主婦がいる。マウントを取りたいひと、取られてストレスに感じるひと、、、そしてわたしみたいに、だからなに?って思うひと。
多趣味だけど、マウント取る趣味はございませんことよー、おほほー♪
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