はじめに
今回の出来事で自分がいかに嫌われているかよくわかった。
嫌われている理由も分かっている。
わたしが書く言葉は時に棘があり、相手を追い詰める刃にもなっているのだろう。
しかし、ここに書くということはそういう全ての批判を受け止める覚悟の上なので、相手を傷つける以上に自分が傷つくリスクを負っている。
わたしは自分の弱みを見せて同情を誘うことが嫌いなだけで、鋼のメンタルを持っているわけではない。多分ごく普通の人間。
この記事を読むほとんどの人は事情を知らない方々ばかりだと思うので、どうしてこんなことになったのか説明が必要かと思う。
細かいことまで話すと長くなるので、なるべく簡潔にしようと思うけれど、、、。
不信感から
話は2020年の3月にわたしがブログを開設した頃に遡る。当時親しくしていたブロ友にある時を境に不信感を抱いた辺りから全ての歯車が狂い始めた。
その不信感とは、、、わたしが彼女からオフレコで聞いていた話とブログに書かれる内容があまりの乖離しているのがきっかけだった。
その方、とにかく匂わせがお得意、一見天然を装いつつ、じつは出来る自分をアピールする。そしてブログランキングを上げ、アフェリエイトで稼ぎたい気持ちが前面に出ていた。
近い立ち場にいて、だんだんとそんな彼女に同意するのが辛くなり距離をおくことした。
その後も彼女の勢いはとどまることを知らず、ご自身の活躍、素晴らしい家族のこと、娘さんの結婚話など、、、同年代で、同じような子供を持つ身としては、正直なところそこまで、身内の情報を晒してもいいのかと思うことが多々あった。
ということで、逆に距離を置いているがゆえにおりにふれてその心境を綴り今に至る。
サークルの皆様の中には薄々それを感じていらっしゃる方がいて反応はさまざま。
そして大概の方々からは人気者の彼女を僻み、他人の悪口ばかりいう嫌な女と映っていたに違いない。
特に男性は女同士の確執など見たくないというのが本音だろう。そして同性にしても、そんなわたしに関わってとばっちりを食いたくないだろう。
それで一時期ブロサーをやめようと考えたこともある。でもこんなわたしのブログでも読んでくださる方もいるので、もう今はその数少ない方の為に書けばいいと思うようになった。
そんな矢先
そんな矢先に起こったこの出来事。
今回は以前から行きたかった四国の旅を実現するべく、数ヶ月前から友人と準備を進めてきた。
昨日報告したように、一旦諦めかけた観光列車の旅もなんとか実現出来ることとなり、いずれはミシュランの星に手が届くであろう才能溢れるシェフの料理を味わう為に高知に飛ぶ。
そして最終日は、大塚美術館とうず潮を見て徳島から羽田に戻るというわたしと友人のたくさんの思い入れを詰め込んだ旅。
ただそれだけのことで、これでブログのPVを増やそうとか、誰かに自慢したいとか、人気ブロガーさんにあやかりたいとかそんなことは微塵も考えていなかった。
検証と考察
しかし、たまたまわたしが訪れようとしたブロガーAさん、あの人気ブロガーのBさんと懇意にされているので、きっと苦々しく思われていると、、、このところ如実にその空気を感じてしまったのだ。
Aさんからすれば、自分の”推し”をグダグダ批判する奴に、売るものなんかないと思うのは当然のコトだろう。
ならば、そこまで嫌われている人に、同行する友人に手間を取らせてまで会いに行くのもだんだん申し訳なくなってきた。
もしかすると友達思いの友人はAさんに、わたしの複雑な心境を、嫌味混じりに言ってしまうかもしれない可能性もあった。
そして、少し前から折にふれてAさんのコメント欄に伺うことも書いていた。が、現実にスケジュールをアップして、こちらの都合を押しつけているように感じられたのかもしれない。
実際のところ、わたしは、そのお店でお土産を買えればよかったので、多忙な店主Aさん本人ではなく他のスタッフさんが対応する可能性も十分考慮に入れていた。旅人なら予定通りにいかないことなど慣れっ子なので。
だからこそ、せっかくなので足跡代わりにこちらの地元のお土産を持参しようと思っていたのだ。
きっとそれも受け取る側からすれば恩着せがましい行為と取られたのかもしれない。
と、わたしが思ったのには、当然理由がある。
事後承諾で申し訳なかったが、その時点では、ブロ友というより、”一般のお客”としてそのお店にいくわけで、理不尽なVIP待遇を望んだ訳でなし、お友達価格でお願いなんて図々しいことをいう輩でもない。
しかしAさん、わたしからの名指しの告知を読んだしるしの”いいね”を残してるにもかかわらず、無言を貫いた。そして、あちらのお友達には楽しそうなコメントを残されていた。
結局、語らずともその行為が如実に物語ってはいるではないか。
あのお店は、普通のお客がアポ無しで行ってはいけないお店なのだろうか?Aさんのブログにはそのようなことは一切書かれていない。
わが家も零細ながら自営業をやっていて、しかもモノではなく接客業なので、もちろん、プライベートとビジネスは分けて考えている。
おや?これって少し状況は違うけれど、以前わたしに確定申告のアドバイスを求めてきたにもかかわらず、その後なんの音沙汰もなく、、、あっ、そういえば、その方が嬉々としてコメントしてたのが、今回のAさんのコメント欄だったぞ。
でその仮にその人をCとしておこう。
Cはわたしに「引っ越しして、母の介護で忙しくて」と白々しい言い訳をいってきたっけ。
なんだかいろいろなことが繋がってきた。
AさんとBさん、AさんとCさんの絆がどれだけ深いのか知らないが、リアルで買い物しようとするわたしが塩対応されてまで行く必要はないだろう。
そういえば、親の介護の話で思い出したが、Bさんも似たようなコトを仰っていたけれど、暇で何もすることなくぐうたらな自分って仰ってたけれど、本当に親の介護をやっている人がそんな呑気なコト言ってられるのだろうか?
結局、BさんやCさんの話す親の介護って、本来の介護からはかけ離れたものなんじゃないかしら?それでわたし介護やってますなんて、恥ずかしげもなく言えちゃう人って、ほぼ嘘つきに思えてしまうわたしって、やはり心が汚れているのだろうか。
うん、汚れていて結構です。わが家の植物は、みんな元気なので、この子たちと仲良くしていれば寂しくなんかない。
しかも、こんなわたしを心配してくれる、ブロ友さん、そして本当に世界一素晴らしい主婦の親友がいて、めちゃくちゃエリートだけど、こんなわたしのくだらない話を聞いてくれる旅友もいる。
一旦コトが起きた時、動けるかそうでないかでその人の真価が問われるとわたしは思う。
そういえば、ブロ友Mayaさんが「言葉の貯金」について話されていて、こんなわたしにもかけがえない貯金があることを思い出した。
あの時の中国人の方にも、お節介と思われてなければいいけど。。。
そしてわたしは思ったのだ。
『リスケすればいいじゃん』って。
そしていま、わたしがこんな気持ちになったこともきっと神の計らいに違いない。
最後に
最後にこれだけはいいたいことがあります。
少なくとも昨日の時点で、わたしの心には一点の曇りもなく
『ただ純粋に、地元の素晴らしいお酒の話がしたかった』
少なくとも下戸なあの人より、わたしは酒を愛しているといえるから、、、その人たちのことは信用するけれど、これから現実にお店に伺うつもりでいるわたしが信用されないことがショックでした。きっと冷やかしの類と思われたのでしょう。
だだ少なくともわたしは、気のおけない友人とすごすこの貴重な旅の時間は1分1秒も無駄にしたいとは思っていないので、Aさんのお店のブログも拝見し、数あるお店の中から行ってみたいと思っただけです。
だから本当に残念です。
そして、そんなわたしを心配して奇譚無い言葉を掛けて下さった皆さんの心を受け取り、いくら感謝しても感謝しきれない思いです。
だだ一度持ってしまった不信感は容易に払拭することは出来ません。もちろんわたしにも非はあるとは思いますが、どちらか片方だけが悪いということにはならないとおもいます。
今の率直な気持ちとしては、心底憤ってます。そしてそれは誰かひとりに対してというより、ひとりの裸の王様に対してみて見ぬふりをして忖度する。まるで、今の世の中の縮図みたいなこの集団内での白々しい人間関係そのものなのかもしれません。
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