緊急事態宣言に伴い自宅に戻っていた利用者がひとり帰ってきた。
彼は、まあまあ重度の自閉症?で、本来なら私の職場でお預かり出来る区分ではないらしい。でもなぜかそのような方がいらして。。。そのあたりがこの業界のグレーゾーンなのかな?と日頃から感じている。
余談はさておき、その彼と、同じフロアに入居する別の利用者の会話が微笑ましかった。
利用者A「Bくん、君がいない間に新しい職員さんが何人か入ったよ。1人は、夜勤のCさん。。。」
帰ってきた利用者B「そうなんだ。そのCさんってひと若い?」
利用者A(ちょっと苦笑いしながら)「うーん、そんなに若くはないかな?」
利用者B(微妙な沈黙のあと)「そっか。。。」
Aさんは身体の障害をお持ちの方なので、意思の疎通は健常者と何ら変わりはない。なので当然普通に社会人としての配慮や気配りを持ち合わせている。だから、常識として、私たち職員の前で、そういった年齢の話をしないほうがいいことを認識している。
一方、Bさんは”意思の疎通やその場の空気を読むといったこと”が難しい障害をお持ちなので、そういったことはお構いなしだ。
しかし、私は大学生の息子を持つ母親であるから、若い男子は普通に若い女子に関心を持つのが自然だと思うので、これが普通に”野郎”の会話だよねって微笑ましく感じていた。
しかも今まで、申し送り等で聞いていた情報から、Bくんは、男性には親しみを感じるが女性を見下す傾向が強い印象だったので、彼も普通に若い男子だということでむしろほっとしたというのが率直な感想。
そして、翌日別な利用者さんにお茶を出しながら前日の話をしていた時、
利用者D「ここで働いてる人で、俺より年下の人いないんじゃないかな?年配のひと多いよね?」
とその会話に勝手に参入したEさん。
利用者E「若いのは二人いるよ。FさんとGさん。」(言葉に妙な棘がある)
一見なんてことはない会話だが、Dさんは40代後半、Eさんは、60代。。。Dさんの言葉には特段の棘はない。なぜそう感じるかというと、彼は視覚障害者なので相手の見た目に捉われていないことが想像出来るから。
ちなみに私は、今年誕生日がきたら52歳になる。
私がEさんの言葉に棘を感じたのは、内容そのものというより、Dさんと楽しく前日の微笑ましい話をしていたところに勝手に割り込んできて、言葉の中に(ここは、ばあさんしかいないんだよ。全くつまんねーな。)という心の声を載せてきたコト。
それは被害妄想じゃない?と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、それこそ、いくら50代のおばさんであっても、自分よりひと世代以上うえの方に、ばあさん扱いされるのには納得いかない。
それに、男性が若い女性のほうがいいのは普通に常識だと分かっている。しかし、人生を半世紀以上生きてきた男がいまだに、若いとか若くないとかで女性を見ていること、それを恥とも思わず、人前でそういうことを平気で言えるデリカシーの無さに憤るのだ。
ここは、自分の言葉を載せる場所なので書いてしまうが、
「50代のおばさんだけど、還暦じーさんに、ばばあ呼ばわりされたくねーわ!!!」
もちろん私の苛立ちの原因は、これだけではない。Eさんは、その障害の為に、働くことも出来ず、障がい者年金を受給し、生活保護を受けている。
私は、生活保護受給者が、みんながみんななりたくてそうなったわけじゃないことも分かっている。しかし働くことなく、日本に暮らす全ての納税者の税金で生かされていることだけは忘れないでいて欲しい。
だからそういう立場のひとに、ばーさんだからというだけで、女の価値はないみたいな言い方をされたくはないのだ。
そのたくさんのばーさんたちの介助を受け、そのひとたちが納めた社会保険や税金がなければ暮らしていけない人にだけは、そんなこと言われたくないわ。
利用者たちには喫煙者も多い。
ある利用者の発言(生活保護受給者)など勘違いも甚だしいと思った。
「俺だってタバコを吸って納税してる」
”ちがうだろ!!!”
とまあ、日頃から職場では、会社の方針に対する不満、職員同士の軋轢、一部のこころない利用者の言動など、たった週一の夜勤でも、深~い深~い闇を見させられているのである。
だからきっとこの職場には長いことは居られないと感じているのだ。
しかし、その一方、少ないながらもこんな私との会話を楽しんでくれる仲間にも出会えたり、風変わりながら、笑いもあり、癒される場面もあったり悪いことばかりではなかったけれど。
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