岸田総理は
岸田総理はロシアによるウクライナ侵攻から24日で1年となるのを前に、「ウクライナに対して新たに55億ドルの追加財政支援を行うこととした」と表明しました。また、ウクライナのゼレンスキー大統領も参加する形でG7=主要7か国首脳によるテレビ会合を24日に開催することも明らかにしました。
TBS
誰かこの方の暴走を止められないものか?55億円ではなく、今のレートだと7400億ですよ。
国の借金が雪だるま式に増え続ける中、国民には増税を突きつけ、海外には湯水のように支援する。
しかもトルコへの災害援助はたった11億円で、戦争支援には桁違いの金額を投入するなんて…本当に酷すぎる。
ニアが帰宅
一方わたしは、帰国した娘のところへニアを送り届けた。今朝は天気が良く比較的風も穏やかだったので海まで散歩に行ったこともあり、帰宅してからニアは爆睡していたらしい。
このときは一緒に歩いていたのに、もういまはそれぞれ違う場所で暮らしている人間とわんこ。次はいつ会えるだろうか?きっと次に会う時も、カラダ全体で喜びを表現してくれることだろう。
あとで知ったコトだが、Mシュナは頑固で吠え癖がある子が多いのだとか。
でもニアは散歩中に遭遇したお友達に吠えられても吠えることもないし、わたしたちに甘噛みすることもなく、でも何か物音がしようものなら即座に反応して身構える。そうかと思えば気を許した人間にはお腹を見せて至福の表情で撫でられて甘えている。そしてたまに悪さをした時は、ものすごく申し訳なさそうな仕種をする。
おだやかで優しくて好奇心旺盛で、時々勇敢な表情を見せてくれたり、でもとてつもなく甘えん坊で、その小さなカラダの中に言い表せないぐらいの可愛いさが詰まっている…ニアはそんなわんこなのだ。
きっとペットと呼ばれる動物たちは皆、飼い主にとってそんなかけがえのない存在になるべく生まれてきたのだ。
昨日ベットでニアと一緒に寝ながら、昔実家で飼っていたポチという名のわんこのことを思い出していた。ポチは雑種犬で、昔なので犬小屋で鎖に繋がれていた。ご飯もドッグフードではなく、人間のご飯を分け与えていた。今から考えると、とても可哀想なことをしていたなあと反省することばかりだ。
でもその時はその時なりに家族みんなで可愛がっていたことだけは間違いなかった。そして、今でもポチが亡くなった時のこともよく覚えている。
もちろんニアにそんな思い出話をしたところで理解してくれるとは思ってもいなかったが自然と話しかけていた。
『昔ね、おばあちゃんの家にポチくんという犬がいてね、とてもお利口さんだったのよ』
どうしてそんな気分になったのかもわからないが、その瞬間だけ子供に還ったのかもしれない。
そして人が何かを愛する気持ちというのは、人が本来持ち合わせている優しさから生まれたものなのだ。という思いが込み上げてくる。
ところで『優しさ』ってなんだろうといつも思う。おそらく今だとSNS上でよく見かけるような“いい話“の主人公が“優しい人“扱いなのかしら?
でも本当の優しさは、そんなふうに誰かの顔色を伺っているような場面では見えてこないものだ。
そんなことに気づいたのもニアに出会ったお陰かもしれない。
そして決まってこんな気分の夜には荒地の魔女の言葉がぐるぐる回りだすのだ。
きれいは汚い、汚いはきれい。
さあ、飛んで行こう、霧のなか、汚れた空をかいくぐり。
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