歩道を塞ぐラベンダー
『細かいことが気になる』のは、なにも杉下右京だけではありません。昨日、行きつけの美容院へいく道すがら、こんな光景に出くわしました。
これ某お店のラベンダーのプランターだと思うのですが、茂りすぎて完全に歩道に出ているので、歩行者は車道側に避けないと前に進めません。激しく邪魔なんですけど。
しかもこのプランター、完全に側溝の上に乗っかってますよね。これくらい大きな道路の歩道に飛び出しているプランターは初めてみましたが、ここまであからさまでないにしても、細かいことをいうと、、、戸建ての敷地の外にプランターや植木鉢を置いたり、はみ出して駐車するのも本当は違法です。
迷惑なご近所さん
ちょっとくらいいいじゃない?という考えも分からないではありませんが、ほとんどの人はご近所付き合いのマナーに配慮していることを考えると、ちょっとならいいということにはならないですよね。
似たような話で、マンションのベランダや、密集している建売り住宅の庭先の喫煙に迷惑している人も大勢いらっしゃると思います。でもこの場合、非喫煙者が泣き寝入りの場合がほとんどですよね。
そもそもベランダや庭先でタバコを吸われる方って、自宅内はなんらかの理由で禁煙なんですよね。ご自身の家族の理解すら得られないことをいくらご自宅の敷地内とは言え、よそ様のお宅に煙が行くのは構わないとでも思っているのでしょうか?それともそういう方って、何千坪もあるような大豪邸にお住まいなのかしら?
また戸建ての場合、自宅の落ち葉や雑草など放置している人もかなり迷惑です。落ち葉や雑草のタネが飛んでくるので、いくらわが家だけ頑張って片付けても終わりが見えません。
寛容さが失われている社会
近頃よく『日本社会から寛容さが失われている』などという論調を耳にします。確かにそういう捉え方もあると思います。
ですからともすれば、「こんなちょっとくらいの植木鉢やプランター、車のはみ出し、ベランダや庭先のタバコなどに対しても寛容さをもって大目に見てあげればいいのに」なんて思う方もいるでしょう。
でもそういう、本来は違法状態だったり、迷惑行為を許容するような、どちらか一方だけが我慢を強いられるような、やった者勝ちを利するだけのことに、寛容さを求められたくはないです。
よく旅先で誰かに助けられた話や、酒の上での失敗などを武勇伝のように話し、「人の優しさに触れました」とか「いつも感謝しています」とか「こんな自分でも理解してくれる家族や友達がいます」とか、少なからず周りに迷惑を掛けたことを悪びれもせずさらけだす人がいます。
つまりそれがその人たちが言うところの寛容さのある社会なのでしょうか?
本当にその人が、心から誰かに感謝しているのなら、何度も同じ過ちを繰り返さないように努めることが、頂いた寛容さに報いる唯一の方法なのではないでしょうか。
最初は大きな問題ではなかった
最初のラベンダーの話に戻ります。
このラベンダーもプランターに植えた時点ではきっとただ綺麗に咲いていたのでしょう。
しかし、そのまま何の手入れもせずに伸ばし放題にして、歩行者の進路を著しく妨害する存在になってしまいました。
おそらくいつか然るべきところから通報されて、このラベンダーは撤去されるでしょう。わたしは植物を愛する者のひとりとして、そのことがとても残念でなりません。
身勝手な人間の犠牲になるのはいつも、こういう弱い立場の植物や動物なのでしょう。
お世話が出来ないなら花を植えないでください。
そんな人は花を植える資格などないと言いたいです。
禁断の…
じいがとうとう禁断のモノに手を出してしまいました。実はわたしも以前やってみたいと思っていたのですが、『それは素人が手を出すもんじゃない』などと一言の元に却下されていたのですが。
それがこれ。
きゃー盆栽ですよ♪
やっぱ漢は黙って盆栽!?
漢じゃないけど憧れます☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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