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娘と大喧嘩

今日はとうとう、じーさんのコトがきっかけで娘と人生初くらいの大喧嘩をした。親子でもやはり相性がある。娘には、「お母さんは、お父さんに養って貰ってるのだから、それに対する感謝の気持ちを忘れてはいけない」と説教された。

その言い方がまるで、今は亡き姑のような言い方で、血は争えないなあと思った。

娘に言わせれば、私は相手の非ばかり責めて自分の非を認めない奴らしい。じーさんの検診の結果が悪いのも私の健康管理が悪いからだと言われた。

うーん。我が家に週に何度も来て、私に離乳食作らせてるようなひとにだけは言われたくなかった。

こう見えても私、ホルモン療法を試している更年期障害持ちの半病人なんですけど。それも、わたしの健康管理が悪いからだろうか?

わたしが太ったのも、どう考えてもストレスだ。わたしの白髪が一気に増えたのは、3人目の子供を産んだ時からだ。でも、だからと言って子どもを責める親はいない。

わたしが責めたのは、彼女がお稽古をサボって、誤魔化していたことを知った時だ。元来短気なので、一度切れるとかなりの暴言を吐いたに違いない。でも、お稽古を長期に渡ってさぼり続け、騙された身にもなってくれ。そしてだからと言って、虐待やネグレクトをしたとは思っていない。(された子供が虐待されたと言えば虐待なのかもしれないが)

でも待ってくれ。私が今憤っている相手は他でもない、じーさんただひとり。それなのになぜ、今、30にもなる娘に小学生の頃に吐いた暴言を責められているのだろう。

毒親だったかもしれない。でも、毒舌を吐きながら、子供3人、私立大学に通わせて、息子は大学院に行こうとしている状況でもダメ親なんだろうか。

それは全て、娘の大好きなお父さんのおかげなのだろうか。

実は私が娘を産んだのは大学2年の時だった。私は某国立大学の学生だった。その頃はめちゃくちゃ授業料も安かった。それでも親は大変だっただろう。それこそ、その親の期待を裏切り、キャリアも積まず結婚して3人の子育てをして、もう今用済みだと言わんばかりの言葉でお父さんと離婚すればなんて言われて、、、はっきり言って所詮他人のじーさんに言われるより、何百倍もショックだった。

もちろん、そこまで言われたら意地でも離婚はしない。泣き寝入りなんて絶対しない。逆に腹を括ったわ。困ったことがあればなんでも、お父さんに泣きつけばいい。どうせ彼女からしたら、口うるさいだけの母親なんだろう。

人って自分が今迄思ってもみなかったことを決めつけて言われちゃうと、怒りを通して悲しくなるのね。

当分立ち直れないなんて、被害者面もしたくない。ただ、私の中の何かが壊れた。

先日20年ぶりに、松嶋菜々子のやまとなでしこの特別総集編をみた。

あのドラマ、当時はただのラブコメとしか見てなかったけれど、今、改めて見ると全く違う視点で観れた。

幸せってなんだろう。

その人といるだけでどんな辛いことも、悲しいことも消え去って、ただただ安らげる時間なのではないだろうか。

きっとわたしは至らない母親だったのだろう。娘の理想とするような良妻賢母には程遠い存在なのだろう。しかし、人生にはマニュアルなんてない。子育てだって何が正しいとか間違ってるとか一概に言えない。なぜなら、みんなそれぞれ違うから。

じーさんはもう還暦だから今更何も変わらないだろう。というか出来れば本当に関わりたくない。でも、それでも、わたしがこの家にいる意味はなにかと言われたら、何かあった時、いつでも、気兼ねなく立ち寄れる場所を守りたいから。

それは全く自分のためではなく、子供たちが、いくつになっても帰れる場所を守りたいから。

でも、きっと、子供にはわからないだろう。大切なものは、失ってみて初めてわかるものだから。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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