ある番組で、高橋一成が語った自身のエピソードにとても共感を覚えた。
彼は、同情されたり、「よく頑張ったね」と言われることが本当にイヤ。人から教わることも嫌い。独学でやっていきたいし、人から習っていいところだけ持っていくのがダメなんだそう。
あーあるある。すごく分かる。そしてこういった部分が彼を結婚から遠ざけているのも理解できる。
誰かと一緒にいると自分なりにあれこれ気を使うから疲れてしまうのだ。
わたしが彼の演技に引き込まれるのは、こういった素の部分に共通点があるからかもしれない。
これは人を好きになるのに理屈はないのと似ている。
思考回路や価値観が近い人のことはなんの苦もなく理解できるが、逆に自分と違うタイプの人とはどんなに頑張っても分かりあうことは出来ない。
わたしは、俗に言う「要領のいい人」が苦手だ。如才なく器用になんでも出来て、軽々と誰かの上をいってしまう。
今風に言えば、こういうスペックの高い人って、本人の自覚ある無しに関わらず鼻につく。
それって、低スペックな自分の僻みの裏返しでもあるから、、、結局のところ自己嫌悪に陥って、落ち込むきっかけにもなってしまう。
「わたしはなんてちっさい人間なんだろう。顔もブサイクで心も醜くて本当に酷い人間だ」と、誰かを恨んだり、妬んだりする感情に気づいた瞬間から、今度は自分自身を責めてしまう。
そしてその原因となったような人に限って、そんなの考えすぎだよーとか、どんな時もあなたの味方よ。みたいなコトを言ってくれるけど、、、本当の挫折を知らない人からの上から目線なセリフほど相手を傷つけるものはない。
そして、そういった挫折を知らない人とわたしはおそらく一生分かり合えないと思う。
だから最近では自己防衛のために出来るだけそういう人とはプライベートで関わらないようにしている。
もちろんハイスペックな人全てがそうだとは言っていない。むしろその逆の立場の人の中にはもっとタチが悪い人もいるからだ。
自分ではなんの努力もせず、相手を利用するだけ利用してあとは知らんぷりしてる人。そういう人はもっと嫌いだし、出来るだけお近づきにはなりたくない。
とまあ、高橋くんのエピソードをきっかけに、いつの間にかわたし自身の思いを綴っている。
ちなみに、わたしの個人的な見解では、高橋くんをイケメンというジャンルに入れるのには違和感がある。でもカッコいいし、ステキな役者さんだなあとは思う。
また少しタイプは違うが、綾野剛もわたし的にはイケメンではない。でも2人とも独特のオーラを持っている、唯一無二の存在だ。
演じる役によって何者にでもなれる役者って本当に凄い。
話は変わるが、今日久しぶりに朝顔をみてしまった。見なければいいのにと思いつつ見てしまうような変な魅力のあるドラマ。
まずあの鬱々とした唄が気に入らない。いつまでも吹っ切れないお父さん(時任三郎)にもイライラする。
そして徹夜明けの後輩(志田未来)に検体の執刀を任せる朝顔(上野樹里)もどうかと思う。
そして、お父さんにやたら絡んでくる食堂の女将さん(大竹しのぶ)がいい歳して魔性すぎる。寒気がする。
と言いながら見てるわたしもわたしだけれど。
月曜の夜はもっと明るい話を観たいと思うのはわたしだけではないはず。
コメント