館内を巡って
大塚国際美術館での陶板画の鑑賞ですが、B3→B2→B1を回ってきて、もうほとんどの人が脳が飽和状態に達してしまうと思います。かくいうわたしも例外ではありません。
ですが、最後の力をふり絞り、もう少し気になるスポットを取り上げていこうと思います。
◆快楽の園◆
館内では至るところに有名絵画にちなんだフォトスポットが設置され、訪れる人々を楽しませてくれています。
こちらは、ルネサンス期の画家ヒエロニムス・ボスの傑作快楽の園にインスパイアされたフォトスポットです。
こちらでは、アザミやアマリリス、月下美人など、約100種1,000本の鮮やかな色合いのアートフラワーに加え、絵に登場するイチゴやブラックベリーなどもちりばめられています。画中にある球体や卵の殻に似たボールチェアとともに、“ボスワールド”が再現されています。
ボスはレオナルド・ダ・ヴィンチと同時代に活躍し、バベルの塔を描いたピーテル・ブリューゲルが尊敬した画家です。
◆ゴッホの世界◆
こちらはゴッホの7つのひまわりにちなんだスポット。
そしてもうひとつ。ゴッホがアルル時代に描いた作品ローヌ川の星月夜にインスパイアされた“星月夜ロード ”が。
きらめく光は夜空に輝く星のよう。まるで作品の中の世界に足を踏み入れたかのようです。
クリスマスのイルミネーションのようでもありロマンチックな気分に浸れそうです。
それにしてもフィンセント・ファン・ゴッホほど日本人に愛されている画家はいないかもしれません。わたし自身もいま改めて彼の作品を観ながら、彼はとりたててなんでもない日常を描いているだけなのに、どうしてこんなにも心が暖かくなるのだろうと不思議でなりません。
彼の人生はけっして恵まれているとは言えず、むしろ辛いことのほうが多かったに違いないです。画商として働くも失恋のショックで仕事に身が入らず解雇になったり、牧師を目指すも挫折したり……。
しかし不器用で回り道をしたからこそ、繊細で心に残る絵が描けたのかもしれません。
躍動する力強い筆致や、大胆な色使い、暖色から時に陰鬱な色合いを帯びる光のゆらめきが大きな波動のように押し寄せ、見る人の心を優しく包み込んでくれるオーラを感じます。
大塚国際美術館は、非日常のアート空間、大自然の安らぎの中に身を置きワークする「ミュージアム×ワーケーション」を提案しています。ここには感性が刺激され、ひらめきや発想力が高まり、充実した特別な時間を過ごす工夫が至るところに施されています。
全館Wi-Fi、館内各所に充電ポールやコンセント、テーブル、ソファが設置されており絵画鑑賞の合間に気軽にワークできます。ひとりでも、グループでも、家族との時間を大切にしながらのワーケーション。
こういった未来志向の取り組みは、いち企業だけでは限界があるので、国をあげて考えるべきことだと思います。
まあそこまで考えずとも、、、澄んだ空気、大空、緑、海と自然に溶け込んだロケーションも抜群なので、美術鑑賞をきっかけにこの街に訪れる価値は十分あるでしょう。
ここまでお伝えしてきたことも、実はほんの一部だけ切り取っているにすぎません。
カメラから取り込んだ画像を観ながら、あ、これもあった、あれもあったと本当に途方もない時間を費やして楽しんでいます。
こんな絵もあります
◆アンリ・ルソー◆
わたしは個人的にアンリ・ルソーの作品も外せないと思っています。
アンリ・ルソーは、素朴派を代表するフランスの画家です。税関職員の傍ら独学で絵画制作を行う日曜画家だった彼は、ベタ塗りの筆使いや狂った遠近感が特徴的な独自の絵画作品を生み出しました。行ったことのない熱帯雨林を想像力だけで描ききるルソーの絵画は後のシュールレアリズムに大きな影響を与えました。
◆マルク・シャガール◆
マルク・シャガールはロシア出身のユダヤ系の画家で、存命中から現在に至るまで、世界中で高い人気と誇っています。97歳と長生きしたこともあり、多くの作品を残しましたが、長い画業を通して具象的で詩的な画風を貫きました。
「色彩の魔術師」「愛の画家」と呼ばれ、愛にあふれた幻想的な作品を描いたシャガール。その背景には、ユダヤ人として生まれ育ったアイデンティティと、2つの世界大戦により混乱した世界情勢、そして愛する妻の存在がありました。
そしてわたし個人的には、自分のLINEのアイコンを、彼が手掛けたオペラ座の天井画・夢の花束の画像にするぐらい、これがパリ旅行で出会った最も印象的な作品だったのです。
抽象絵画の世界
◆秋のリズム : ナンバー30◆
一見するとなんだかわけわからんかんじですが、めちゃくちゃカッコいいと思ってしまったのがこの絵。
もしわたしがもの凄いお金持ちだったらこの絵を買って自分の家の部屋に飾りたいくらい素敵です。
本作は1950年秋に制作されました。ジャクソン・ポロックは、1947年から「アクション・ペインティング」を本格的に展開しました。
「アクション・ペインティング」とは、抽象的表現と形態の融合より創出された独自の技法です。
「ポーリング」(塗料を注ぎ掛けながら線を描く技法)、「ドリッピング」(塗料を撒き散らして滴らせる技法)、「スプラッタリング」(塗料を粒状に飛び散らす技法)により、作品を描きました。
またこの作品は1952年以降の作品に見られる「ブラック・ポーリング」への転換期の作品ともいえます。
「ブラック・ポーリング」では黒色を基調とし、形象が復活します。作品では、幅広いキャンバスにて人間を取り巻く環境が表現されていると解釈することができます。
◆マーク・ロスコ◆
これはわたしの極めて個人的な意見ですが、違いのわかる大人は、ひとつの教養として、このマーク・ロスコを絵を知ることが出来たら、一歩進んだような気がするかもと思ってしまうでしょう。そういえば以前ロスコについて語っていた回もありました。
1946年という年はロスコの”マルチフォーム”絵画へ移行を始めた時期です。”マルチフォーム”という言葉は批評家によって付けられた言葉で、決してロスコ自身が造った言葉ではありません。
1948年制作の《No.18》や《無題》などは移行期の代表的な作品です。ロスコ自身はこれらの絵画は、人間の表現を自己完結したものとして、有機的な形態を地層のように重ねているといっています。
彼にとって、風景や人間の造形が一切ないさまざまな色で構成されたぼやけたブロック絵画は、神話や象徴だけでなく、人間自身の生命力と死を宿しているのです。そして、その時代の最も形象的な絵画内に欠乏している「人生の息吹」が含まれています。
1949年には、マルチフォームの色面が整理されはじめ、縦長の大きなキャンバスに矩形の色面を縦に配置していくロスコの代表的なスタイルを確立します。絵具はしばしば下の色が透けて見えるほど薄く塗られ、ロスコ自身、色彩の振動を「呼吸」の比喩で語っています。
それゆえ、人体よりも少し大きめにつくられた縦長の画面は、あたかも人と対面するかのような感覚を鑑賞者に与えるのです。
50年代から60年代にかけて、ロスコはそうした対面構造を持つ大型の抽象絵画を多数制作し、バーネット・ニューマンやスティルとともに、カラーフィールド系の抽象表現主義の画家として活躍しました。
私は基本的な人間の感情(悲劇、エクスタシー、運命など)を表現しているだけです。人々の多くが私の作品に直面したときに、感情が揺さぶられて泣くという事実があるので、私は基本的な人間の感情を伝えることができていると思っています。私の絵の前で泣く人たちは、私が絵を描いたときと同じような宗教的な体験を感じています。色彩の関係のみで美術を語る人は間違っています。
マーク・ロスコ
これらの絵を一見しただけですぐに理解することは出来ないと思います。しかし、これらの作品を幾度となく眺めていると、これはただ単純にキャンバスを塗りつぶしたものでなく、ロスコ自身がその時々に考えたテーマに沿った感情を重ねているのです。
彼の作品をみて思わず涙してしまう人は、たとえばある聖地に赴き、祈りながら感極まって涙が流れてしまう。そのような感覚に陥るのではないでしょうか。
そしてそれは彼が、作品と対峙した人がどう感じ取るか、どう理解するかに徹底的にこだわって作品をつくりあげたからに他なりません。
そしてそれらを表現するうえで以下の「7つの成分」を大切にしていました。
- 死に対する明瞭な関心はなければならない… 命に限りがあり、それを身近に感じること。悲劇的、ロマンティックな美術等は死の意識をあつかっている。
- 官能性…世界と具体に交わる基礎。存在に対して欲望をかきたてる関わり合い方。
- 緊張…葛藤あるいは欲望の抑制。
- アイロニー…人がひと時、何か別のものに至る為に必要な自己滅却と検証。
- 機知と遊び心…人間的要素として。
- はかなさと偶然性…人間的要素として。
- 希望…悲劇的な観念を耐えやすくするための10パーセント。
これらの成分を基に、ロスコは色の構成比率を算出していたそうです。はっきり言って理解に苦しみますが、これらの成分により表現された作品と対峙した時の、様々な感情が層になって現れる、宗教的かつ崇高な感覚を、ぜひ生で体験していただきたいものです。
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