光る君へ
新しい年が始まり、明日1月7日(七草)から、新しい大河ドラマが始まります。
大河ドラマ「光る君へ」
これは1000年の時を超えなお、多くの人の心を魅了し続けている長編小説「源氏物語」を生み出した女流作家・紫式部の波乱の一代記です。
物語は平安中期、京に生を受けた少女まひろ(落井実結子)、のちの紫式部の少女時代から始まります。父・藤原為時(岸谷五朗)の政治的な立場は低く、母・ちやは(国仲涼子)とつつましい暮らしをしています。ある日まひろは、三郎(木村皐誠)という少年と出会い、互いに素性を隠しながらも打ち解けあい、再び会う約束を交わす二人でしたが…これはこれから始まる激動の運命の序章にすぎませんでした。
わたし、個人的には、ドロドロした恋愛小説『源氏物語』より、簡潔でリズム感のある随筆『枕草子』のほうが好みです。とは言え、平安という同じ時代を生きた女性でありながら、全く趣きの異なる作品を生み出した、紫式部と清少納言という当代きっての類い稀なる才能にはずっと憧れを抱き続けていました。
結局、さまざまな賛否両論のありつつ、いろいろツッコミどころ満載だった『どうする家康』も完走してしまったので、おそらくこの『光る君へ』も見てしまうだろうと予想しています。
望月の歌
ところでこのドラマの主人公・紫式部に多大な影響を与える存在として登場する、藤原道長のあの有名な『望月の歌』に関する解釈が以前とは変わってきたことを最近知りました。
藤原道長といえば、
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
という、道長の娘、威子が正式に皇后となった10月16日に栄華を極めた道長が詠んだものとして、わたしの学生時代には、
「この世は自分の為にあるようなものだ。 なぜなら、私の力は満月のようにまったく欠けたところがないのだから」
というような解釈で教わってきました。
しかし最近の研究によりこのような新しい解釈もあるのではと言われるようになりました。
満月=三后の地位を全て娘たちが占め欠けた所が無いこと、円満に交わした盃になぞらえ、
「この満月を心ゆく我が満足の時と感じる。三后の地位を全て娘たちが占め、この宴では円満に皆と盃を交わし、欠けた所が無い、まんまるな満月だ」
このように解釈すると、道長は得意満面にわが世の春を謳歌していたというより、3人の娘たちを無事時の天皇の后とし、安堵した心情を素直に詠っているようにみえます。
なるほど、たしかにそう考えてみたほうが、この当時と現代とで使われてる言葉の意味が違ってくることからも自然に感じられます。
たとえば冒頭の「この世」はそのまま「この世の中」と解釈されていましたが、この時代の和歌で「このよ」は、「この世」と「この夜」をかける 掛詞 として使われている例が多かったのです。そして、それに続く「我が世」は、天皇や皇太子以外が「わが支配の世」の意味で使う例は他にはなかったのだとか。
一方、同時代の歴史物語『大鏡』には、「心のままに、今日はわが世よ」(心のままに過ぎる私の楽しい時間)という表現があります。ですから、「この世をば 我が世とぞ思ふ」は「今夜のこの世を 私は心ゆくものと思う」と解すべきではないかということなのです。つまり、この上の句は、もしかすると「今夜は本当にいい夜だなあ」くらいの意味になるのかもしれないのです。
うーん。そう考えたら、あの傲慢の極みのように見えた道長さんが、急に身近な存在に感じられてきました。たしかに、うちのじい(夫)にしても、血のつながりのない嫁のわたしには無関心でも、こと娘や孫に関しては、どんな些細な出来事でも気になって仕方がないようなので。
きっと親子の情愛なんて、1000年前であれなんであれそんなに変わりないに違いありません。
このように遠い昔に思いを馳せ、その時代に生きた人々の思いを想像してみるというのも、時間旅行しているみたいで楽しいです。
そしてわたしたちが歴史を学ぶ意義もそこにあって、時代が進み、さらに詳細な研究が進むにつれ、歴史上の人物の解釈についても大きく変わっていくのだと思います。
そればかりでなく、わたしたちのような庶民の暮らしの中でも…“ある人“に対する評価も一定ではなく、移りゆくものなのかなと思い至るのです。
物の見方も十人十色。それぞれの解釈があっていいのではないでしょうか。頭の中であれこれ想像を巡らすだけなら、誰も傷つくことはないですし、また何人たりとも、誰かの心の自由を奪うことは出来ないのですから。
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