BF1 お勧め順路
B1Fは、時代や様式、流派に分けた『系統展示』の近代の作品を中心に展示されているフロアです。
近代は、ルネサンス、バロックの様式を模範とするアカデミーに対し、自由な創造をモットーとする印象派の芸術家たちが異を唱え、新しい芸術表現を追求した時代です。その動きはフランスにとどまらず、西欧諸国へと広がっていきました。
今回も参考までにお勧め順路を載せておきます。この回でも太字の部分の画像を中心にお届けします。
ゴヤの家「黒い絵」→7つの「ヒマワリ」→民衆を導く自由の女神→笛を吹く少年→セーヌ川の舟遊び→落ち穂拾い→オフィーリア→接吻→皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠→叫び
ゴヤ
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは、スペインの画家で、ディエゴ・ベラスケスとともにスペインで最も偉大な巨匠のひとりと言われ、ベラスケス同様、宮廷画家として活躍しました。
ゴヤといえば、なんといってもこのツイになった2作品が有名です。こちらのオリジナルはプラド美術館にともにプラド美術館が所蔵しており《裸のマハ》と《着衣のマハ》として並べて常設展示されています。
この裸のマハは数ある裸体像の中でも最も有名な一枚です。「マハ」とは粋な下町娘の意ですが、この名称は後世つけられたものです。
裸のマハは西洋美術史において、寓意性や神話的な意味をともなわない形で制作された最初の卑俗的で具象的な女性ヌード絵画であり、最初のヘアヌード絵画です。売春婦のような明らかにネガティブな意味あいもありません。
どちらかといえばネガティブな側面を見せるこれまでの裸体絵画に比べて、本作は大胆で勇気を持って裸をさらしています。そしてスペイン美術における多くの伝統を受け継いでいるものの、特に鑑賞者を真っ直ぐ見つめる大胆な視線は、これまでの伝統をはっきりと覆しています。
こちらは、第13代アルバ公爵夫人カィエターナを描いた作品です。公爵夫人は当時のマドリードの社交界においてひときわ目立つ存在でした。「美しさ、人望、人を惹きつける魅力、財力、家柄、すべてに抜き出ている」と語られ、「スペインの新しきヴィーナス」と賛美されたほどの美貌の持ち主です。そしてこの絵の作者であるゴヤと親密な関係にあったといわれています
そしてこれは、スペイン王カルロス4世とその家族を描いた集団肖像画で、ゴヤが53歳で念願の首席宮廷画家に昇進した記念として1年以上の時間を費やして描かれた渾身の作品です。
しかし1807年にナポレオンがフランス軍を率いて、スペインに対して半島戦争をしかけると、当時マドリードに残っていたゴヤは、この戦争で深刻な精神的ダメージを受けることとなり、その後の彼の人生や製作活動に暗い影を落とすことになります。
1819年、マドリード郊外に「聾者(ろうしゃ)の家」と通称される別荘を購入し、この家のサロンや食堂の壁に14枚の壁画を描いています。
暗い色、特に黒色の絵の具で描かれており、不気味で暗い雰囲気から、その壁画を総称して『黒い絵』と呼ばれています。
こちらは一応お勧めのコースになっていますが、暗く不気味な絵が多いので少し遠巻きに撮るにとどめました。
逆に言えばそれだけ彼の描く世界に鬼気迫るものがあるとも言えます。
系統展示作品の数々①
◆民衆を導く自由の女神◆
ドラクロワの名を知らなくともこの絵を見たことがあるという方は多いのではないでしょうか。
この作品は、シャルル10世の即位による反動的な政策に民衆が蜂起しパリを制圧した1830年の七月革命に想を得た作品です。ドラクロワ本人は蜂起には参加しませんでしたが、少なくとも「国家のために絵を描く」ことぐらいすべきだと感じていたのだとか。
赤、白、青のフランス国旗が画面を引き立てています。
三色旗を持つ中央の女性は『自由』を擬人化したもので実在の人物ではありません。
当時、民衆は貧困にあえいでおり、死体からも衣服が剥ぎ取られている様子までリアルに描かれています。こうした歴史上の出来事にヒントを得て描いた作品を歴史画というのですが、こうした題材はドラクロワの最も得意とするところでした。
◆笛を吹く少年◆
マネの絵画の中でも特によく目にするのはこの笛を吹く少年ではないでしょうか。この絵が人気である理由の一つは日本の影響を大いに受けていたという点にあります。
マネはジャポニスムに関心を寄せた画家の一人で、この作品では浮世絵の影響を受け、あえて人物の影を最小限にとどめることで平面的な描写に仕上げています。また輪郭がはっきりとした筆遣いで描かれているのも浮世絵の特徴の一つで、それまでの西洋絵画では珍しいことでした。
また彼はスペイン旅行で出会ったベラスケスの絵から大きな影響をうけました。
マネが手紙の中で最も賞賛しているのがこの道化師を描いた肖像画です。この絵は、わずかな影で背景を表現することによって、見る人の意識を人物に集中させるように描かれています。マネはこれを「背景が消え、空気が人物をとり囲んでいる」と表現し、生涯の研究テーマとしました。
ルノワール
クロード・モネと並ぶ印象派の巨匠、ピエール=オーギュスト・ルノワール。彼の作品といえば、柔らかい色彩で描かれた裸婦や少女たちの生き生きとした姿が特徴的です。ルノワールが描いた愛らしい女性たちの姿は、日本でも大人気です。
◆ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会◆
わたしの一番のお気に入りはこれです。本作のタイトルであるムーラン・ド・ラ・ギャレットは、モンマントルに誕生したダンスホールの名称です。当時のパリっ子たちにとって、週末にダンスホールやカフェに足を運ぶことはささやかな楽しみのひとつでした。
この絵をみると、友人とバスに乗ってモンマルトルの丘を散策した時のことを思い出して懐かしい気持ちになります。
◆セーヌ川の舟遊び◆
明るい陽光あふれるセーヌ川に浮かぶボート。ボートに乗る二人の女性の白いドレスは、さわやかな季節を感じさせます。彼女たちは簡単なタッチで描かれ、顔はほとんど特定できませんが、思い切った輪郭線をぼかす手法を使って、この憩いの場の幸福感、高揚感を表現しています。
また、何よりも、自然の光とこれを映した水面が、この絵の主題としてクローズアップさせることに成功しています。
これらの作品を観て思うこと、、、ルノアールは印象派の代表的な存在でありながら、高尚な芸術ではなく、どこまでも親しみやすく、身近にある幸福を感じさせてくれます。そしてそれが、ルノワールの最大の特徴であり魅力なのです。
系統展示作品の数々②
◆落ち穂拾い◆
以前、オルセーに行った際、実は本来ここにあるはずのこの作品が、他国の美術展に貸し出されていました。なのでオリジナルでないにせよこの作品に出会えたこともまた今回の大きな収穫となりました。
本作は、光と影によってみごとに綾取りされて彫刻のように浮かび上がる人物像と、コントラスト的効果をもつ背景の処理などに、ミレーの卓抜した技量、そして近景と遠景といった単純な対比だけを見ても、そのリアリティのすばらしさに驚嘆させられる作品です。まさに名画中の名画と言えるでしょう。
また、この作品が名画中の名画と言われる所以は、旧約聖書の一説が含まれているという点にもありました。
あなたが畑で穀物の刈り入れをして、 束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。
あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。
ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさい。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。
旧約聖書より
心ある地主は貧しい農民のためにわざわざ多くの落ち穂を残していました。
ミレーはこのことについてただ「見たままを描いた」としか発言していません。そこにも謙虚で寡黙なミレーの優しさがにじみ出ていると思いませんか?
◆オフィーリア◆
本作はジョン・エヴァレット・ミレーの作品で、前述の落ち穂拾いのミレーとは別人です。
英国の美術作品の中でも、最高傑作と言われるオフィーリア。
一度目にすると忘れられない、、、今なおその美しい描写が人々を魅了し続けています。
この作品に描かれている女性は、ウィリアム・シェイクスピアの悲劇『ハムレット』の主人公の恋人、オフィーリアです。
夢の中を漂っているようなオフィーリアの姿、虚ろな表情は、緻密な写実描写でありながら、むしろ非現実の幻想的な世界を思わせます。
オフィーリアを囲むように水に浮かぶ草花も印象的です。これらの意味を理解すると、絵画に込められた切なさを、より深く感じ取ることができます。描かれている花は12種類。
ケシ、スミレ、ひな菊、パンジー、バラ、柳、いらくさ、のばら、西洋なつきそう、みそはぎ、勿忘草、きんぽうげ。
これらの花言葉からは、正気を失い、色々な感情が入り交じったオーフィリアの気持ちが絵画の情景となっていることがわかります。
あとがき
今回は、それぞれの作品の背景を深掘りしながら、改めてその名画の名画たる所以に気づかされ、心を揺さぶられずにはいられませんでした。
そしてまた幸せとはなんぞやと、自分に問いかけます。
ある人が言いました。
「神様は、信じてる人だけ救ってくれる気まぐれな人です」
そう、神はいつも自分と共にあるのだから、幸運やチャンスを手繰り寄せるには、何事も本気で取り組まない限り、向こうから勝手にやってくることはないのです。
芸術が人の心を動かすのは、作者が全身全霊を込めてその作品に命を吹き込んでいるから。
今日もまた一歩ぐらいは、違いの分かる大人に近づいたでしょうか。
また、明日。
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