情けは人の為ならず
姑が生きていた頃、松の剪定の時期になると植木職人さんたちが来ていました。今でもそういう習慣があるのか分かりませんが、当時は、10時、12時、15時と休憩の時間があり、10時と15時にはお茶とお茶菓子を、お昼にもお茶を用意して、職人さんたちに提供していました。
ある時わたしは姑に聞きました。「どうしてこういう習慣があるのでしょう」すると姑はこんなことを言っていました。
「職人さんたちは決まった日当で働いているからどんなに頑張っても同じでしょ。でも、こうやってこちらが誠意を示したら、あの人たちだって人間だから、ほんの少し他の家より丁寧にやろうかなんて思うかもしれないでしょ」
あーなるほど。たしかに日当に含まれていない心遣けを貰って嫌な気分になる人はいない。それで職人さんのモチベーションが少しでもアップすれば結果的に仕事に反映されるというものです。
こういう考え方って、、、流石いいとこのお嬢様だった姑ならではだなあと思いました。
この場合、彼女は”いい人”というより、実家には、書生や下男や女中さんか大勢いた生活をしていたので、そういう気遣いが身についていたということです。
彼女に言わせれば、職人さんたちにいい仕事をして貰う為には、こちらもそれなりの誠意をみせる必要があるという、、、人の心を動かす知恵というのか。
まさに『情けは人の為ならず』です。
この場合逆にいえば、心遣けをする側は、全員が全員とは言わないけれど、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくることを知っているから、相手に親切にしているともいえます。
『いい人に見える人』が、必ずしも『いい人』とは限らない
そして今の時代、、、以前と比べてあらゆる面で余裕のない人が増えていることもあり、いわゆる『いい人に見える人』が本当に『いい人』なのか疑って掛からなければいけなくなっています。
また、人の親切心につけ込むオレオレ詐欺など、手を変え品を変え頻発しているこのご時世なので、わたしは最近特に顔の見えない人の”甘言”は額面通りに受け取らないようにしています。
本当の親切や優しさは、自分からしてやったとか、誰かに言われたとかアピールするものではなく、本人の行動から滲み出るものだと思います。
嘘つきほどよく喋ります。これは昔からよく言われていることですし、嘘つきは泥棒の始まりとも、親からも諭されました。
わたしも少しでも姑を見習って、心の余裕を持ちたいものと思いつつ、もう今は古き良き昭和は過ぎ去り、政府でさえも小手先の目眩しのような施策で国民に不利益をもたらしているのですから、常に物事の二面性を見ておいたほうが自分自身を危険に晒すリスクを減らすことに繋がるのでは?と考えます。
温室を愉しむ
今朝も早起きして、温室でいろいろ遊んでしまいました。
まだ途中ですが、こんな感じになりました。
今はパッションフルーツの強剪定前、メロンが場所を取っているので手狭になっていますが、あと半月ぐらいしたら、もうすこしスッキリさせたいです。
床は人工芝とプラのタイルを敷いてみました。これらは全て100均で入手したものです。棚もダイソーで購入したワイヤーネットを載せ結束バンドで固定してさらに強度を高めました。
棚に載せた不織布プランターは、root pouchにして出来るだけ重量を軽くすることを心掛けています。
じいは、ハンギングプランターなども考えているようです。こうやって作り込んでいくと、温度計や照明などもあったらいいなとか、、、妄想が止まりません。
それから温室の外、庭も昨日入手した、女峰とローマンカモミールを寄せ植えしました。
以前植えていたジャーマンカモミールは一年草でしたがこちらは多年草で、葉っぱからもりんごの香りが漂ってきます。
それから、まだ可愛い苗ですがクリスマスローズもroot pouchに入れてみました。ちなみにグレーのポーチは土に埋めると3,4年で分解する素材が使われているらしいです。
そのうち一日中温室に籠るなんてことになってしまいそうです。
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