注射の副作用を理由にするのは本意でないが、どうにも腹立たしいことがあると、ここに書いている。
そういえば、国保減免申請書は無事提出した。とわたしが主語で書いていることも、本来は、うちの連れ合いの案件だ。
以前いた会社で、それぞれのPC設定のバージョンアップ作業をしていた時、先輩の同僚がそういうことには疎い方だったので、課長に「わたし、こういうこと分からないからいつも主人にやってもらっているから、、、お願いします」と。
それを横目で見ながら、私は思った。”いつもやってくれる旦那さんがいて羨ましいな”と。
二十歳で結婚して、一度里帰り出産して以来、私はほとんど実家に帰れなかった。姑が大正生まれの昔堅気な人だったので、「あなたはこの家の人になったのだから、実家とは一線を引きなさい」と言い渡された。
まあ、いつの時代も姑と嫁はなさぬ仲だから仕方ないにしても、私が結婚したのは、姑の息子=夫である。はっきりいってこの30年間一度も感謝の言葉を言われたこともなければ、プレゼントひとつされたこともない。そんな奴のことを”じーさん”と罵るぐらいいいじゃないか。
でも、子供からすればそれは辛いことらしい。
加えて、今の仕事に関しても。嫌なら辞めればいいという。そら、一番そう思ってるのはわたし。でも、やめて収入がなくなれば、子供や孫に何かを買いたいと思っても、”じーさん”のお金をあてにしなければならない。しかも、娘や孫がふらりと実家に訪れた時、”じーさん”だけいても食事の支度など誰もしてくれない。
嫌なら辞めろというのは簡単だが、その代替案を考えるのも私に丸投げされるならただの雑音にしかならない。
現状今の仕事は、今の私の労働環境が守られるなら、暫くは続けていられる状況。もちろん、いつ辞めてもいいように、来月には有給休暇を消化する予定ではある。
いずれにしても誰に何を言われようと、辞めるのを決めるのは自分自身。
頭でっかちの娘、「○○さんが言っていたけれど、人は自分の頼んだこと以外のことをやっても、それに対して感謝しない傾向があるらしい。だから、お父さんに頼まれたこと以外はやらなくていいんじゃない?」
まあ確かに、そういう側面はある。
たとえば、わたし、あまりスイーツは得意ではない。でも、大概の女性はスイーツ好きなので、「たまに疲れてるときには、甘いものがいいわよ」なんて大量にケーキをお土産でくれるなんて人もいる。
しかし、わたしは、内心「ええーそんなにいらないよ」と思っても、「ありがとう♪」と感謝する。それは、ケーキを貰ったことに感謝するのではなく、わたしを気遣ってくれたことに対して感謝するのだ。
つまるところ、お金やモノは大事だが、それだけで心は満たされない。
それを受け取ったひとが感じる”感謝”というウソ偽りのない心でしか測れないのだ。
まして、うちの”じーさん”は、お金もモノもありがとうの言葉さえ持ち合わせていないのだ。そんな人にどうやって腹を立てずにいられるのか。教えてほしい。
そして、どんな手続きにも期限がある。たとえ、”じーさん”が”頼んでこなくても、わたしが気づいて、じーさんが気づくまで待っていたらおそらく期限切れだ。
そして、じーさんが損をすれば、結果的にわたしの家計が苦しくなる。だから、そんなことを言ってる場合ではないし、ここだけは言わせて貰えば、それは今のゆとり世代の考え方なのかなと。
指示されたことだけやればいい。余計なことをすると叩かれる。という風潮?
もちろん、ゆとり世代でも自ら考え行動される方はたくさんいらっしゃる。でもおそらく、そういう方がだんだん減ってきていると感じる。
こんなこというと、それこそ老害の被害妄想と言われてしまいそうだけど。
とにかく、ここは、わたしが有料でレンタルしてるサーバーなので、私の本音くらいは書かせてほしい。というか、ここで書かなくて、ここで言えなくて誰に言う?
っと、こんなぐたぐたな気持ちを書いている間にも仕事の時間も迫っているのよ。
あー仕事いきたくない。
でも、いってきまーす♪
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