今さらだが今日はわたしなりのSDGsな取り組みについてのお話をしたいと思う。
SDGsとは「持続可能な開発目標」。 簡単に言うと「世界中にある環境問題・差別・貧困・人権問題といった課題を、世界のみんなで2030年までに解決していこう」という計画・目標のことだ。
まあそう簡単にこれらの問題が解決するわけはないが、これらの中のひとつの要素でもいいので何か取り組めたらいいのかなと思う。
いやむしろ自分なりに何か一点に焦点を絞ってみると、これらは決して別々の問題ではなくそれぞれ繋がっているということが分かる。
まさに“先ずは隗より始めよ“ではないだろうか。
わたしはあまり流行を追うのが得意ではない。むしろ自分が以前から当たり前にやっていたことや、行きつけだったお店や、推しメンがあとから世の中に認知されることのほうが嬉しい。
そういう意味では、ガーデニングやコンポストは、流行のあと追いみたいで、今さら取り組んでますなんてドヤ顔で語るつもりはさらさらない。
これらの取り組みは、わたしにとっては“50の手習い“みたいなもの。このことわざは、むかし人生50年と言われてた時代があったことの名残で「死を眼前にして、何かをしたい、何かを習う、勉強してみたいという意味で、いくつになっても学ぶことは大切です」という教えに他ならない。
わたしがガーデニングを始めたきっかけは、行きつけのヘアサロンでみた雑誌に取り上げられていたトートバッグコンポストが目についたのが始まり。
帰宅早々すぐにこのコンポストのセットを注文して、わたしの“ちょっとエコな取り組み“が始まった。
何より気に入ったのが、このコンパクトでおしゃれなデザイン、そして“都会でもできるコンポスト“というキャッチフレーズだ。
あれから我が家のコンポストは三代目の基材が稼働中で、二代目は既に半分くらい追肥として出動している。
そう、あのイバラキングさんらしいメロンの実が少しずつ大きくなってきたので、追肥をして新しい藁も追加したところだ。
そして、先日一気に3個花が開花したパッションフルーツ、それぞれの花に別々のおしべの花粉を受粉したらなんと見事に結実したのだ。
おそらく今シーズンは複数の花が一気に咲くことはなさそうなので、この3個の実を大切に育てていきたいと思っている。
それから今朝、あの自生したトマトの苗から初めて収穫した。植物とは本当に適応力があるというか、小さい鉢に植えたらそれなりの大きさの実をつけるものらしい。
でお気づきかもしれないが、この鉢にはテグスもつけていないが、鳥にやられていない。
あのテグス、、、つけた時点ではこんなんで大丈夫?と思っていたが、鳥避けネットに勝るとも劣らないぐらいの効果を発揮してくれているようだ。鳥が近づいた形跡はあるものの悪さをされていない。ということで彼らも学習したのだということが分かる。
そして、パッションフルーツの鉢から発芽していたトマトとピーマンも順調に育っている。
あの小さかった苺の苗が大きくなってランナーを伸ばして沢山の苗を育てている。そしてこの苗にもコンポストから作られた堆肥で追肥している。
あと、すっかり忘れてしまうぐらいの話だが、生ゴミが出てもコンポストのご飯になってしまうので、ゴミも減るし、この連日の猛暑の最中でも生ゴミの臭いを感じることも皆無になった。
うちのコンポストは、立派な家族の一員のごとく、日々黙々と生ゴミを分解して、極上の堆肥を作ってくれているのだ。
この営みに参加していると、この世には無駄なものなど何ひとつないということを実感する。
この幸がない世の中で、、、自分だけは損したくない心理に支配されている人をみると憐れに思う。そのこころは得をしている人を羨ましく思う気持ちの裏返しだから。
コンポストは、人間が捨てようとしている生ゴミを引き受けて、自分の損得抜きにただひたすらその生ゴミを分解し新しい土に変化させる。
捨てる神あれば拾う神あり。都会にはない田舎暮らしだから出来る“ナチュラルなSDGs“。
情けは人の為ならず、、、巡り巡ってわたしにたくさんの宝石のような時間を与えてくれている。
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