都内のタワマンに家賃を払わず住み続け、福島県から訴えられている原発避難民
東日本大震災から丸12年。復興庁の調査では、2023年2月1日現在、全国に約3万1000人もの避難者がいる。そのうち福島県から県外への避難者は2万1101人に上る。原発事故により戻りたくとも戻れない方、戻らないと決めた方もいるだろう。
その一方で、東京・江東区にある国家公務員宿舎「東雲住宅」に家賃を払わず住み続けている自主避難者がいることを、デイリー新潮はたびたび報じてきた。福島県は彼らを提訴し、今年1月、ついに判決が下されたのだが……。
国家公務員宿舎「東雲住宅」は震災時、災害救助法の適用を受けて福島県の避難者に無償提供された。ただし、無償期間は6年間で、2017年4月からは国家公務員と同額の家賃を支払う契約を結ぶことを条件に2年間の猶予期間が設けられた。さらに、2年の猶予期間を越えた場合は、家賃の2倍に相当する損害金を支払うことも約束された。ところが、頑なに家賃を払おうとしない居住者が5世帯いた。
支払ってもらえない家賃は、福島県が肩代わりしている。県は調停員に入ってもらい、住居の明け渡しと支払いを求めたが、話し合いは不調に終わった。 2020年3月25日、県は自主的に退去した1世帯を除き4世帯を提訴。そのうち2世帯についての判決が、今年1月13日に下ったのだ。
《東京電力福島第1原発事故の自主避難者を対象とする国家公務員宿舎「東雲(しののめ)住宅」(東京都)の無償提供終了後も、貸し付け契約を結ばずに住み続けたとして、県が2世帯に退去などを求めた訴訟の判決が13日、福島地裁であった。小川理佳裁判長は居住を続けている1世帯に退去を命じ、両世帯に賃料相当損害金の支払いを命じた。/1世帯は昨年4月に退去しており、約131万9千円の賠償を命令した。もう1世帯には住宅の明け渡しと損害金約147万5千円と、2019(平成31)年4月から退去まで毎月約6万5千円の支払いを命じた。》(福島民報:1月14日付)
あの震災から12年が過ぎました。震災直後の数年はともかく被災された大半の方々はカタチは違えどそれぞれの生活を取り戻されているはずです。にもかかわらず、この事案を含む15世帯がいまだに係争中なのだとか。
そして事態は収束に向かうどころか…昨年3月11日には、別の国家公務員住宅などに住み続けている自主避難民11世帯が、県を訴えました。住宅からの退去と損害金を請求されて精神的苦痛を受けたと計1100万円の損害賠償を求めたのです。さすがに話し合いできる状態ではなくなったと、6月には県がこの11世帯を提訴した件も係争中の15世帯に含まれたのです。
皆さんそれぞれ事情はあるのはお察ししますが、さすがに10年以上も原発避難民の立場を振りかざすのはいかがなものかと。
われわれ納税者も既に復興特別所得税として、東日本大震災からの復興財源に充てるため、2013年1月1日~2037年12月31日まで、通常の所得税に2.1%上乗せして徴収され続けます。
会計が遅い人にイライラする
先日、ブロ友Mayaさんのブログ記事『ゆっくりという需要』というテーマを拝読しました。
わたしは、『スローなことは悪いことではないと思います。ただそれも時と場合によるというか…長蛇の列のレジで小銭を1枚1枚出して数えていらっしゃるような方をみるとついイラッとしてしまいまいます。わたし的には、『わたしは〇〇だから』ということをいい訳にして、他人の迷惑を顧みない人のことはあまり許容できません。しかし本当に困っている人がいたら手を差し伸べられる自分でありたいと思っています。』
とコメントしたのですが、これって何もお年寄りや身障者のケースに限ったことではなく、むしろ年齢関係なくレジでもたつく人がいて、特に仕事の中で限られたお昼休憩の時間にそういうことをされたりすれば、誰だって腹が立つんじゃないかということを言いたかった訳です。
でもこんな意見の方もいらっしゃいました。
『小銭を払う行為じゃなくても、いつか素早くできない時が自分にもくるのだと思います。なので、全く腹が立たないです。』
確かに誰しも必ず年を取ります。実際わたし自身も若い頃と比べたらもう既に衰えたなと思うことが多々あります。しかし、今はまだ辛うじて会計にもたつくこともないように気を使うことが出来ているので、少なくともその間は出来るだけ他の方に迷惑を掛けないようにするのが当たり前だと思っています。
Mayaさんのブログで紹介されていたように、今はスローな方に対する対応も工夫されてきているようなので、ただ一律に同じ列に並ばせるのではなく、一定の棲み分けをすることにより、大半の良識のある人たちが、『弱者だから配慮されるべきという誤った認識から生じる強者』の被害者にならないよう配慮されるべきだと考えます。
そしてやはりわたしは聖人君子ではないので、一見して社会的弱者と呼ばれるような立場でもない大人が、何の準備もせずに、レジ前でのんびりしているのを見れば、イラッとしてしまうでしょう。それは世の中の効率化云々の話ではなく、ひとりの不心得者の行動が、大勢の罪なき人の時間を奪う行為に繋がるからです。
やはりどんなに大目にみても迷惑なものは迷惑だと、はっきりと言ったほうがいい人は年齢や性別に関係なくいると思います。
『心は女だ』と言えば女湯に入れるはデマ
元首相秘書官の差別発言をきっかけに、棚上げになっていた「LGBT理解増進法案」の検討が進む中、SNSを中心にトランスジェンダー女性を排除する言説が広がっているとして、全国の当事者団体でつくる「LGBT法連合会」が16日、東京都内で会見を開き、「デマが当事者の生活を脅かしている。冷静な議論が必要だ」と呼びかけた。
SNS上では「法律ができると、男性が『心は女だ』と言えば女湯に入れる」などの投稿が散見。同法案には、公衆浴場の利用ルール変更は盛り込まれていない。
会見で神谷悠一事務局長は「全国約60の自治体で性的少数者への差別禁止条例が施行されているが、公衆浴場の利用ルールが変わったり、社会が混乱したという事実はない」と説明。トランスジェンダー女性の時枝穂さんは「人目や、社会の中でどういうふうに見えているかを気にしながら暮らしている。正しい理解が広がってほしい」と訴えた。
東京新聞
トランスジェンダー女性の基本的人権を云々するつもりは毛頭ありません。しかしこの話の一番の問題点は、トランスジェンダーになりすまして女湯に入ろうとする不心得者を見極める基準が明確化されていないということだと思います。
社会的弱者やマイノリティに配慮するのはもちろん大切なことですが、しかしそれもしっかりとした法律、それに基づいた社会的基盤を慎重に整えていってこそ、国民全体が安心して受け入れることが出来ることではないでしょうか。
ただ誰かの顔色を伺って、自分だけは聖人君子でいたい人の偽善的感情的な空気に流されることのない社会になることを願っています。
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