最近、ブログサークルに参加していていろいろと思うことがあり、サークルを辞めようか、ブログの更新自体を辞めようかなどと、、、悩んでいる。
最初はブロ友さんたちの記事から、今まで知らなかった世界を知ることが出来て楽しいことばかりだった。
が最近は、ブロ友さんの記事に感想のコメントや応援をしながら半ばそれが義務のようになっていることもあり、、、そして、わたしのブログにいいねしてくれている人が、本当にわたしの記事を読んでくれているのかなど疑問に思うことが多々ある。
以前、あるブロ友さんにその悩みを打ち明けたことがあった。そのときも自分が気づかなかったことを教えられて、ある方々への見方が変わったこともあった。
いいねやコメントはするけれど、応援はしない人が少なからずいることなど、、、。
そしてこれは現実の世界でもよくありがちな『長いものには巻かれろ』的な風潮。
また自分のプライバシーには人一倍気を使うくせに、よそ様のプライバシーには無頓着で、大きなイベントのパレードの参加者や観客の写真を何枚も無断で掲載している人が、コンプライアンスについてうんちくを垂れている場面を見かけたこともあった。
しかしそういう人に限って、サークル内でのヒエラルキーの高い人には媚びへつらう。
いつだったか、ある方のどうみてもピンぼけ逆行写真にコメントし『シャンゼリゼ通りかカルチェラタンか』などと絶賛している人がいたが、それはどう見てもただの失敗写真で、、、本当にその人はシャンゼリゼ通りやカルチェラタンを知ってコメントしているのかとツッコミをいれたくなるようなやりとりだった。
サークルのコメント欄では、コメントをする側、される側、、、両方のやりとりが見えてしまうので、こういう空気の中ではコメントするのも気がひけてしまう。
そして、最近たまたまかもしれないがこういう歯の浮くようなやり取りのコメント欄が目についてしまって、どうにもいたたまれない気分になっている。
そうなってくると、もうコメント欄を見ないほうがいいという気分になってしまう。
またある時は、別なブロ友さんの記事だったか、、、『他の人のところにはコメントされているのに、どうしてわたしのところにはコメントしないのですか?』というメッセージが送られてきて困惑した胸の内を綴られていたことがあった。
普通はそう思っても直接メッセージを送る人はいないと思うが、わたしも少なからずそう言いたくなるような人がいるのは確か。なので、きっとその人からしたらわたしの記事は評価するに値しないものだと受け止めることにした。だからわたしも、いいねはしても、きっとその方にとってわたしのコメントは迷惑だろうと推察するので、今後コメントは差し控えたい。
それから、人によってはコメント返しをする人しない人を使い分けしている人もいるが、正直同じコメント欄でそういう様子を見てしまうと、ちょっと引いてしまう。
コメント欄をオープンにしてる以上、コメント返しはしないと統一するか、全員にするか、拝読しましたなどの確認のコメントはお断りするなどいくらでも方法はあると思う。
それから、ここでも何度か触れたことがあるが、わたしは、お隣の国が苦手なので、いくら韓流ドラマがいいとお勧めされても見たいとは思わない。それがいくら偏見や食わず嫌いと言われようと、、、何がどう展開して、カルト宗教などに結びつくか分からないので関わりたくないのだ。
また、少し前になるが、「年収200万円」がTwitterのトレンドに上がった。とあるムックのタイトル『年収200万円で豊かに暮らす』という言葉に反応したものだ。
以下、、、「年収200万円では豊かに暮らせない」「そもそも200万円しか給料がもらえないこと自体がおかしい」「その年収じゃ怖くて病院へもいけない」「200万円で我慢しろと言うのか」と、かなり手厳しいコメントが並んでいたと記憶している。
しかしその一方で今やブログやYouTubeの節約や100均ネタは鉄板の人気コンテンツで、それらを礼賛する風潮が幅を利かせているのも事実。
わたし自身もガーデニングでいろいろ100均グッズを利用させてもらっているので、もちろん否定はしない。
しかし、ガーデニングもやればやるほど、プランターひとつとってみても、長く使えるのは、陶器だったりするわけで、安いプラスチック製は結局のところ経年劣化で壊れてゴミになってしまうと気づく。
人生は長いようで短い。そしてわたしはもう半世紀も生きているので、もうたくさん食べることも出来ないし、出来ることなら、使い捨てのようなものは使いたくない。
以前、ニュウマン横浜のTHE SHOPでギフトを選んでいた時、素敵なフォルムのカトラリーを見つけた。
物は試しと、フォークとナイフとスプーンを1セット買ってみたのだが、見た目以上に使い心地がいい。
口にするもの身につけるもの、そして日々の生活用品に至るまで、見た目も大切だが、やはりその中身や使い心地が肝心なのではないだろうか。
今のわたしは、正直なところ高見えするモノはいらない。実際使ってみて自分に使い心地が良ければそれでいい。他人からどう思われようと、自分自身がそれを使って幸せになれるなら、それがわたしにとっての最適解なのだ。
他人の価値観を否定するつもりはさらさらない。しかし、価値観以前に、知りもしないことをさも知っているかのように発言したりするのはよくない。
そして今この時代の風潮に流されて、本当に上質なものを軽んじたり否定するような価値観に迎合するつもりも全くない。
またこんなこと書いてしまうと、顰蹙を買ってしまうかもしれないが、それは最初から承知の助。
こんな弱小ブログ。いつだって辞められるし。
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