家族や友人のプライベートを晒す人
SNSで家族や友人のプライベートを晒す人ってどうしてそのようなことが出来るのか?何が原因なのかなど時々考えさせられることがあります。
わたし個人的には家族や友人のプライベートな話題をSNSに載せることに関しては否定的です。 SNSはどのような人が見ているのか分かりませんし、その情報は簡単に拡散してしまい、そこから個人が特定されるリスクも伴います。そして、それは簡単に消去することが出来ません。 ゆえに情報を発信する本人のみならず家族や友人のプライバシーを考えると、かなり危険な行為になりかねません。
家族の誰がどこに住んでいて、今日はどこに行ったなどと平気で載せる人は、SNSの悪い一面を理解出来ていなかったり、自身に対する承認欲求が強すぎるということが考えられます。
自慢というより、投稿に対して反応が来ると、自分が認められたような気がするという満足感なのか、自分だけならまだしも、家族や友人を道具に使っているような点はやはり駄目だと思います。
毒家族
と同時に、その人をとりまくわたしたちのようなSNSを利用する側も、知らず知らずのうちに、そんな毒家族たちのハラスメントに加担している可能性すらあります。
そう…過度な称賛は、ある種の麻薬のようなもので、一旦その快感に味をしめてしまうとその沼から抜け出せなくなってしまうものなのでしょう。
近年、ニュースで壮絶な親子関係が頻繁に取り沙汰され、子どもの人生をコントロールし、子どもが成人してからも大きな負の影響を与え続ける親のことを毒親と表現することも一般的になっています。しかし、何も物質的にネグレクトをしたり、暴力を振るったりする人だけが毒親ではないのです。
表面的には、子どもの健康に気を使い、食事も与え、安全にも気を配っているようにみえる「幸せそうな普通の家庭」であっても、実は親が精神的に未熟なために、しかるべき精神的なつながりを築くことができず、子どもの心に暗い影を落としている場合もあります。
精神的に未熟な親にもさまざまなタイプがありますが、子どもに孤独や不安な思いをさせるのはいずれも同じ。愛情を与える方法は基本的に1つなのに、子どもが愛情を求める気持ちを台なしにする方法はいくらだってあるのです。
精神的に未熟な親は、子どもの気持ちに鈍感で、不安をもたらす点で共通しています。いずれも傾向として、自分のことしか考えず、やたらと自己評価が高く、わがままで無神経、共感性に乏しいといった特徴があります。
そして、自分が機嫌よくいられるために子どもを利用し、しばしば親子の役割を逆転させ、有無を言わせず子どもを大人の問題に巻きこもうとするのです。
毒家族的な人に加担しないために
誰しも身の回りに、こんな毒家族的な人のひとりやふたり思い浮かんできやしませんか?こういう人たちを増殖させない唯一の方法は、その養分となるものを与えないことに尽きるでしょう。
日本では、「見ざる言わざる聞かざる」という言葉は、「秘密にする、迂闊なことは言わない」のような意味で広まってしまってるようです。
この言葉、紀元前の中国の有名な思想家、孔子の言行録である論語にある言葉からの出典であると言われています。
「礼節を欠くようなことを、見てはならない、言ってはならない、聞いてはならない、行なってはならない。」
そしてその後、中国でこの言葉が広く伝えられるようになり、我が国には、天台宗の僧を通じて伝わったとされています。
そしてそれが、三匹の猿(三猿:さんえん、さんざる)がそれぞれ目・口・耳を両手で塞いでいる「見ざる言わざる聞かざる」として…
「人間は、自分にとって都合の悪いことや相手の欠点、過ちなどを見たり聞いたり言ったりしがちだが、それらはしないほうが良い」という教訓として浸透していったのです。
とまあ、この元は論語の教えに従うとすれば、周囲の人を支配したり、自分に都合のいいように利用しようとする人の話は、「見ざる言わざる聞かざる」を貫いてやり過ごすしかありません。
旅先…特に海外の観光地では、物売りや物乞いに遭遇することがありますが、基本立ち止まらず、話も聞かず通りすぎるのが鉄則です。それと同様に、SNS上の関係であっても、どこに危険が潜んでいるか分からないのですから、聞かれてもいない家族や友人のプライベートを自ら嬉々として曝け出すような人のコトなど信用するべきではないでしょう。
考えてもみてください。自分の部屋の画像や、自分がうっかり漏らしてしまった健康診断の結果を面白おかしく、自分の家族や親しい友人がSNSのネタにしていたとしたら…わたしだったらきっと許すことは出来ないでしょう。そしてそういう悪趣味な投稿にイイネしたり、賛同するような人たちも同様な嗜好の持ち主と思われても仕方ないでしょう。
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