自分の好きなものを貶されたとき
自分の好きなものを貶されて、少なからずイラついたり、怒りの感情を抱いた経験は誰にでもあるはず。
だが大概の場合、その感情をダイレクトに返してしまうと大人気ないとかその場を雰囲気を壊してしまうという理由から口をつぐむ傾向に追い込まれる。
しかし果たしてこういう感情を持ってしまうことが人として未熟かというとそうではないだろう。
先日、あるものを自作してその画像をアップした時に、『ごめんねーわたしその料理苦手なの』とわざわざコメントされてきた方がいらした。
もちろんわたしも苦手な食材はあるし、嫌いな芸能人もいるし、価値観や感性の違いはあって当然だろう。
でもこれはわたしの場合だけれど、もし他のブロガーさんの書いてる記事であるなら、わざわざコメントすることはしない。
そもそも、たとえわたしが誰かの嫌いな料理を作って自分のブログにアップしたとして誰かの迷惑にならない限りそれは罪でもなんでもないだろう。
それをわざわざ論って、コメントするのはどうしてなのか。わたしの感性が乏しいのか?若しくは知性が足りないのか?全くもって意味が分からなかった。
そいういえば去年、金毘羅さんに行った時には、もっと余計なことを言われてぶちキレてしまったことがあった。
でも今年のわたしは少しだけ大人になった(半世紀生きて今更だが)。
つまり今回のコメントは、わたしの反応を試しているのだと解釈することにした。
『あーそういう人もいるのね』って思えばいいだけのことだ。
独白
そして毒舌なわたしは心の中で独白する。
これはたまたま食べ物の好みの問題だが、わたしは旅人なので、旅先では現地の料理を頂くことがまずその国を知る一番手っ取り早い方法だと思っているので、どのジャンルが苦手とかいう先入観はなるべく排除したほうが、より旅を楽しめると考えている。
インドに行った時は、毎日カレーを食べても全然困らなかったし、タイ、シンガポール、ベトナム、マレーシアでも、とりあえずなんでも挑戦して、お気に入りをたくさん見つけた。
わたしは、シンガポールで肉骨茶という料理に出会い、このお店の肉骨茶が自分の中では一番美味しいと思っている。
おそらく画像を見た限りでは伝わらないと思うけれど、きっとこの世の中には他にもたくさん美味しい料理があるに違いない。
なので…『ごめんね〜』さんのことは内心可哀想な人だと思っている。だって〇〇の料理が嫌いなら、あの国やこの国に行っても何も食べられないじゃない?
旅先で日本食レストランを探して食べるなんて残念なことは出来ればしたくないわたしとしては、わざわざ他人のブログにコメントするぐらい嫌いな料理があることのほうが不幸に感じてしまう。それはとてもお気の毒なことだ。
ちなみにわたし『ごめんね〜』の人やその周辺の人に言いたくても言えないことが山ほどある。
でもそれは、自分のブログの記事として取り上げることはあったとしても、わざわざその方の記事にコメントをするつもりはない。
なぜならそれは流石にマナー違反ということが分かっているからだ。
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