わたしは旅先での買い物って、基本的には自分の為にするものだと思っている。
時にわざわざ旅行に来ているのに、家族や他人へのお土産探しに四苦八苦しているママ友を見ていると、とても気の毒に思えてしまう。
「旅行に行ったのにお土産を配らない人」が非常識であるような扱いをされがちな雰囲気って…わたしには、とても違和感がある。
もちろん、新婚旅行などで餞別を貰った人にお礼の意味での土産を買って帰るのは当然だろうし、自分が休むことで多大な負担をかける会社の同僚などに対する気遣いとしてのお土産は、この日本の社会の中でうまくやっていくのには必要なことかもしれない。
逆に言えば餞別を寄越すわけでもなく、その人の不在中になんら迷惑を被ることも無いクセに、ただ隣近所や知人というだけで土産を貰うことを当たり前と思っている人ってどうなんだろう?
そんな人いるの?って思われるかもしれないが、実はこの手の厚かましい人が少なからず存在する。
それどころか、「パリに行くなら、○○の◇◇を買ってきて。お金は後で払うから。」などとブランドまで指定して、現地での買い物をねだる人までいる。
あのーその「後で払うお金」には、決して安くは無い旅費を払って、現地での時間を削って、わざわざ交通費まで払ってお店まで出かける人への手間賃は入っているのだろうか?
それともパリって街がよっぽど狭くて小さくて、そこに初めて出掛ける日本人でも、どこに行くのも歩いて行けるぐらい簡単に移動出来るとでも思っているのだろうか?
外国からの観光客には出国時に付加価値税(VAT=日本の消費税みたいなもの)の払戻し制度があるのだが、多分、他人の旅行の貴重な時間を奪う事に対する対価を考慮に入れることができる人なら、自分で日本の直営店に出掛けて買う事を選択するだろう。
で、また、そもそもそういう厚かましいことを頼まれてしまう人って、他人の頼みを断れない、お人好しが多いから、自分の買い物や観光を後回しにして、目の色を変えて頼まれものを探し回ってあげたりする。あ、実はこれ、わたしのママ友の話(^^;;
本当にこういう人には心から同情を禁じ得ないので、わたしも自分が出来る範囲で事あるごとに協力はしてきたつもりだが、それでも何度かブチ切れて、「『お店に行ったけど無かったわ』でいいんじゃないですか?」ってつい声を荒げてしまったことが何回かある。
そんなことに貴重な時間を費やすぐらいなら、自分が気に入ったものとか、本当に旅の思い出を分けてあげたい人への、心のこもったお土産を選んだ方が、圧倒的に楽しくなるし有意義だと思う。
ちなみにわたしはいつも旅先ではあまり買い物をしようとは思わないのだが、お土産を選ぶママ友を待っている間に、それほど時間もかけず家族や親しい友人の好きそうなモノを適当に見繕っているのだが、おそらくハズレたことはない。
で多分、それなりに旅慣れているわたしから…結婚した長女には、「あちらのお義父さん、お義母さんにお土産は買ったほうがいいと思うけど、うちは要らないから」と、そしてまだ独身の次女や息子には、「基本うちには要らないけれど、どうしても何か買いたいなら、お父さんの好きそうなものを」とそれぞれアドバイスしているのだ。
わたしもわたしの夫(じい)も、旅の価値観は違うにしても、旅先では極力モノを増やしたくないという気持ちが先に立つほうなので、子供たちにも旅先で貴重な時間やお金をお土産選びに費やしたり、スーツケースの容量を圧迫するなんてしてほしくないのだ。
わたしたち親にとっては、子供たちが旅によってたくさんの“心の財産“を得ることのほうがよほど嬉しいし、どうせ旅をするのなら、そういう“一生に一度の旅“をたくさん経験してほしいのだ。
今でこそ旅は誰にとっても身近なものになっているけれど、そうでない時代があった。
だからこそ『可愛い子には旅をさせよ』という諺が生まれたのだろう。
それほど大それた旅でないにしても、今も変わらず旅から得ることは沢山ある。
まだコロナ禍前だが、はじめてNYの街を歩いた時の何とも言えない高揚感といったらなかった。逆に言えば、あの場所はそこに行ったことのある人しか分からない特別な空気感があって、大袈裟かもしれないが、良くも悪くも昔も今もこれからも、『ここが世界の中心なんだ』という圧倒的なエネルギーを感じることが出来た。
人生も折り返し地点を過ぎ、これまでたくさんの場所を訪れる機会にも恵まれてきて、これ以上どんなお土産が欲しいと言えばいいのだろうか。
ところで、どうしてパリでのお買い物を気軽に頼まれたくないかと言えば、たとえばLVやDIORなどの店舗では基本的に、そのお客ひとりにつきひとりの担当者がつくことになっているので、世界中から観光客が訪れるシャンゼリゼ通りの本店では、入店するのにも何時間も待たせられる可能性が高いのだ。しかも個人の免税額にも限りがあるわけで、万が一それを超えた場合、また別途手続きが必要になるのだ。
なのでそういう手間暇をさして親しくもない人に掛けさせようなどと厚かましいことを考える人がいるとしたら、はっきり言ってそんな人の為に自分が犠牲になる必要など全くないと思うのだ。
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